職業教育をになう 専修学校30年のあゆみ 全国専修学校各種学校総連合会 1p 夢かなえる懸け橋に 専修学校制度は、1975〔昭和50〕年に制定され、2005〔平成17〕年、30周年を迎えました。 時代が求める即戦力となる人材を育成する職業教育のかなめへと発展しました。 専修学校は、夢をかなえる懸け橋です。 あらゆる学歴に応じて、だれもが学べる生涯学習機関として、幅広い人々に多彩な学びの機会を提供しています。 2-3p 専修学校は、今をにない、明日を築く、職業教育のかなめです。 専修学校は、日本の職業教育のかなめとなって、創造性あふれる教育を実践しています。 より豊かな学びの実現をめざし、各校が独自に、あるいは様々な連携を通して、学ぶ人に多様な道を開いてきました。 今日の社会を職業教育の面から支え、明日を築く担い手として、大きな期待が寄せられています。 夢をかなえる 「好きなことを仕事にする」。そんな夢を実現するための懸け橋となるのが職業教育。 専修学校が担う使命です。 学校教育法に基づいた教育 専修学校は学校教育法の中で「職業若しくは実際生活に必要な能力を育成し、また教養の向上を図る」ことを目的としています。 若者の意識啓発 若者への勤労意識の啓発は、日本社会の大きなテーマです。専修学校は、様々な職業体験の機会を提供し、若者の意識啓発に取り組んでいます。 産業界のニーズに対応 日本の産業構造が大きく変わる中、専修学校は、即戦力となる人材をタイムリーに養成し、産業界のニーズに応えています。 専門士の称号の付与 修業年限2年以上で、一定の要件を満たす専門学校(専修学校専門課程)卒業者は、専門士の称号が付与されます。 職業に結びついた資格の取得 職業への意識を養い、専門知識を身につけ、プロフェッショナルとしての自覚を高めながら、多様な資格を取得できる場が専修学校です。 高度専門士の称号の付与 修業年限4年以上で、一定の要件を満たす専門学校(専修学校専門課程)卒業者は、高度専門士の称号が付与されます。 大学への入学 3年制の高等専修学校(専修学校高等課程)のうち、文部科学省の指定を受けた学科の卒業者は、大学への入学の道が開かれています。 大学への編入学 修業年限2年以上で、修了に必要な総授業時数1,700時間以上の専門学校(専修学校専門課程)卒業者は、大学へ編入学する道も開かれています。 大学院入学資格 修業年限4年以上で、一定以上の要件を満たす専門学校(専修学校専門課程)卒業者は、大学院に入学することができる資格が付与されています。 ダブルスクールや 大学卒業者の学び 大学や短期大学に通いながら、あるいは卒業後、さらに実学を身につけようと意欲を持った人々に、学びの場を提供しています。 地域を元気に 商店街の活性化、ボランティアなど、地域社会と連携して、専修学校生の創造性あふれる若いエネルギーが活躍しています。 企業との提携 インターンシップをはじめ企業との連携を積極的に進め、実践教育にとりくんでいます。 多様な学習の機会 個性、適性に応じて、幅広く可能性を追求できる機会を設け、若者が積極的に学んでいます。 社会人のキャリアアップ 時代は目まぐるしく変化し、より高度な技術、能力が求められています。社会人のためのキャリアアップのプログラムを提供しています。 職業教育体系の構築 日本における職業教育体系の構築が求められています。職業教育の担い手として、新たな教育体系を世に問います。 調査研究活動 職業教育制度、教育内容、指導方法など、時代を読み、先取りするのに欠かせない研究活動に取り組んでいます。 4-5p 時代に柔軟に対応して、学ぶ人の夢をかなえる道を開いてきました。 INDEX 《夢かなえる懸け橋に》 ●専修学校は、今をにない、明日を築く、職業教育のかなめです。……2 ●時代に柔軟に対応して、  学ぶ人の夢をかなえる道を開いてきました。……4 ●専修学校には3つの課程があります。……6 ●好きな仕事で夢を実現しています!……8 ●ゲスト・インタビュー ……10 ●ゲスト・インタビュー……12 ● 専修学校制度制定30周年記念式典……14 《本編》 第1章 ◆誕生期 before1975年―1984年……17  人々の旺盛な学びの意欲に応えて……18 「本案は可決となりました」……22 続々進む専修学校への切り替え……23 国による専修学校の振興策……24 教職員の資質向上への取り組みを開始……25 高等教育、後期中等教育を担う機関としての施策を……26 高等専修学校に立ちふさがる、法の未整備……27 第2章 ◆発展期 1985年―1994年……29 制度発足10周年、振興・助成策が拡充……30 3年制高等専修学校修了者に、大学入学資格を付与……31 次なる専修学校制度を見つめて……32 専門学校への進学率、大学に次ぐ……33 生涯学習振興法が成立……34 大学などによる単位認定の制度を創設……35 専門学校の課題に取り組む……36 高等専修学校での学習を、高等学校の単位として認定……37 自由競争の時代へ……38 第3章 ◆充実期 1995年―2000年…… 39  専門士の誕生。1年目は23万人……40 進む少子化、教育の高度化……46 産業構造の転換に対応し、社会人にリカレント教育を……50 大学編入学の実現。制度的袋小路の解消……56 学修の認定をより柔軟にし、遠隔教育の可能性を広げる……60 留学生、就学生の受け入れ環境を整備……65 第4章 ◆次代創造期 2001年―2005年…… 69  ITフロンティア教育の推進……70 社会的な評価を高めるために……76 7月11日は「職業教育の日」に……82 専修学校がもつ職業教育の力をアピール……88 職業教育のさらなる充実に向けて、高度専門士の誕生……97 《資料編》 ◆年表……102 ◆資料…… 122 ◆専修学校制度制定30周年 専修学校教育功労者  文部科学大臣表彰者…… 134 ◆ 編集後記…… 138 6-7p 専修学校には3つの課程があります。 専修学校は、入学資格に応じて、3つの課程があります。 高等学校卒業同程度以上を対象とする「専門学校(専修学校専門課程)」。 中学校卒業以上を対象とする「高等専修学校(専修学校高等課程)」。 そして、入学資格を問わない「一般課程」があります。 一定の要件を満たす4年制専門学校卒業者は、高度専門士の称号が付与され、大学院に入学する資格が得られます。 一定の要件を満たす2年制専門学校卒業者は、専門士の称号を付与され大学に編入学する資格が得られます。 3年制の高等専修学校のうち、文部科学省の指定を受けた学科の卒業者は、大学・専門学校への入学の道が開かれています。 8-9p 好きな仕事で夢を実現しています! 目的意識を持って学ぶ、繰り返し学ぶ、実学の中心。それが専修学校です。 学べる内容は極めて多彩。夢実現の近道です。 多彩に広がる8分野 工業 時代の先端のエンジニアとして 測量、土木・建築、電気・電子、無線・通信、自動車整備、機械、電子計算機、情報処理など 農業 これからの農業、園芸を担う 農業、園芸、生物工学、動物管理、ガーデニングなど 医療 いのちを支え、健康を育む 看護、准看護、歯科衛生、歯科技工、臨床検査、診療放射線、理学療法、はり・きゅう・あんま、柔道整復、理学・作業療法など 衛生 いのちを支え、健康を育む 看護、准看護、歯科衛生、歯科技工、臨床検査、診療放射線、理学療法、はり・きゅう・あんま、柔道整復、理学・作業療法など 教育・社会福祉 人を育て、サポートする 保育士、教員、介護福祉、社会福祉など 商業実務 ビジネスの第一線で活躍 商業、経理・簿記、ビジネス、秘書、経営、旅行、情報など 服飾・家政 ファッション業界の担い手 家政、和裁、洋裁、料理、編物・手芸、スタイリスト、ファッションデザイン、ファッションビジネスなど 文化・教養 時代の感性、社会のニーズに対応 音楽、美術、デザイン、外国語、演劇・映画、写真、通訳・ガイド、受験・補習、動物、法律行政、スポーツなど 10-11p Guest Interview ゲストインタビュー 好奇心いっぱいであること、好きであること。 藤原作弥氏 株式会社日立総合計画研究所代表取締役社長 ジャーナリスト、作家、そして元日本銀行副総裁、現在は総合電機メーカーの研究所のトップと、多彩な顔を持って活躍しているのが藤原作弥さんです。 藤原さん自身、専修学校制度が発足する以前の1960年ごろ過ごした学生時代、各種学校でアルバイトをし、自らも友人と学習塾を経営したという経験の持ち主です。 30周年を迎えた専修学校に向けて、エールを送っていただきます。 ――専修学校制度は、2005〔平成17〕年7月11日に30周年を迎えました。 藤原 おめでとうございます。制度を設立させるまでの道のり、そして、この30年にわたる教育の充実に努められた皆さまに敬意を表し、お祝い申し上げます。 ――ありがとうございます。さて、専修学校では、「職業教育」をキーワードに、これから社会に出て行こうとする若者、そして現在、職業につき、さらにブラッシュアップしようとしている方々、そして、生きがいや楽しみとして学ぼうという方々に学習の機会を提供しています。 藤原 「論」だけの勉強ではなく、社会で活躍する手立てを自分のものにする学びということですね。  例えばアメリカでは、コロンビア大学でジャーナリスト養成のコースが用意されています。しかし、日本の大学では聞きません。そうしたスキルを習得し、あるいはアートなどのセンスを磨くことができるのが専修学校なのでしょうね。  成功を収めるには、適性やカンなど、訓練以外の要因もあります。しかし、チャンスを与え、訓練を通して、その職業への意識を高めることの意味は大きいですね。 「この仕事をしたい!」という 気持ちに応える専修学校 ――藤原さんは、どのような「職業教育」を受けましたか。 藤原 私は、新聞社などにニュースを卸売りする通信社で記者をしてきました。駆け出し時代は、いわゆる「サツまわり」といって警察でニュースを拾う修業をしてきました。現場で学ぶOJT(オンザジョブトレーニング)です。  私は、8歳で敗戦を迎え、満州から両親と弟妹たちと命からがら逃れ、1年半、中国で難民生活をしました。今思えば、大人相手にタバコ売りなどをしながら送った日々は、もっとも鮮烈な職業教育になっていたように思います。 ――といいますと? 藤原 大人の世界をのぞいてみたいという好奇心と放浪癖。これがジャーナリストとしての自分につながったように思います。 ――人が職業に就き、自分を高めていくコアとなるものは何でしょうか? 藤原 やはり、好奇心、そして、この仕事が好きだ! この仕事をしたい! という思いでしょう。  専修学校は、そういう気持ちに、実にタイムリーに応えていますね。ニートと呼ばれる若者たちもモチベーションを高めていくきっかけづくりができる可能性を持っているのではないでしょうか。 一人ひとりのキャリアデザインに 的確な学びを用意 ――大学を出て専修学校で学ぶ人も増えています。 藤原 私のまわりには、仕事をしながら自分をレベルアップさせようと難関資格に挑戦している人がたくさんいます。自分のなりたい姿を描いてステップアップするのに、専修学校の学びは明確ですね。  また、生涯学習という面では、収入を得るための学びだけでなく、ボランティアなど社会参加への道を開く大きな役割を専修学校は果たしていると思います。 ――海外の職業教育事情はどうですか。 藤原 かつてスイス政府の招きで、スイス各地を巡ったことがあります。ノーベル賞受賞者を輩出している高等教育機関とともに、街には、アルチザン(職人)の養成機関が充実していて、そこからパン職人も映画監督も巣立っています。まさに市民の学校であって、すばらしいと思いました。 ――これからの専修学校について、メッセージはございますか。 藤原 最近は、PPP(プライベート・パブリック・パートナーシップ)ということがいわれています。官民連携で暮らしやすい地域を作ろうということです。そのための勉強の場として大学が名乗りを上げていますが、専修学校がその役割を担ってもいいだろうと思います。  また、時代を先取りする感覚に優れているのが専修学校ですが、新しい分野というのは、信頼できる技術が確立するまでに、多少時間を必要とすると思います。信頼性の確かな教育で若者たちを導いていただきたいですね。これについては、専修学校界全体で取り組んでもらえたら、と思います。みなさんのさらなる発展を願っています。 profile  1937年生まれ。1962年、東京外国語大学フランス学科を卒業して時事通信社に入社。オタワ、ワシントンの特派員を経て、1994年、解説委員長。1998年、日本銀行副総裁。2003年より現職。 主な著作:『素顔の日銀副総裁日記』『李香蘭 私の半生』(共著)『わが放浪―満州から本石町まで』など多数。 12-13p Guest Interview ゲストインタビュー 子どものころからのものづくりのワクワクが原点だった。 秋山 泉さん 株式会社本田技術研究所・朝霞研究所デザインブロック研究員 専門学校でインダストリアル・デザインを学び、株式会社本田技術研究所に入社、オートバイのデザイナーとして活躍してこられた秋山泉さん。 グランプリのチャンピオンと次の最速マシン開発に取り組むなど、世界を舞台に多忙な日々を送っています。 子どものころから模型づくりが好きだったという秋山さんは、立体ができあがっていくワクワクする喜びを職業へとつなげていったのが、専門学校での学びだったと語ります。 ――オートバイのデザインをなさっているとお聞きしました。 秋山 はい、そうです。二輪車の外装デザインをしています。主に欧州、北米向けの大型オートバイを担当してきました。 世界で一番速いオートバイにする ――外装デザインといいますと? 秋山 タンクやカウル、シート、メーターなど大物から小物までオートバイの形を設計部門やテスト部門と連携しながら創っていく仕事です。  オートバイはライダーが乗った状態で空気抵抗を考えます。テスト部門で風洞実験やコンピューター解析を行いながら一緒に進めていくのですが、デザイナーとしては人が乗った状態だけではなく、置いてある状態でのスタイルも大切なんです。これをどう両立させるかが腕の見せどころですね。 またオートバイの世界ではMotoGPという四輪でいえばF1にあたる世界グランプリレースがあります。こうしたレースに参戦する機種のデザインも入社2年目から係わってきました。レースの世界ではスポンサーの広告塔としての役目もあり観客へのアピールが特に求められます。 ――グランプリの栄冠の舞台裏で、デザイナーのこうした活躍があるのですね。 秋山 レースに勝てば、その機種をベースにした量産モデルの売れ行きも伸びますから。  特にレースの歴史の長いヨーロッパではファンの層も厚く、注目度も違ってきます。スポンサーのイメージカラーやロゴのバランスなど、スポンサー所属のデザイナーと綿密に打ち合わせをしています。 ――仕事の舞台がグローバルですね。専門学校で学んだことは、どのように役立っていますか。 秋山 各分野の第一線で活躍されている方が先生で、もの創りに対する姿勢といいますか、仕事の原点を教わったように思います。  私の職場は、「どの学校を出たか、ではなく、何ができるか」という社風があり、専門学校での実践的な学びが活かせます。 プロの仕事が先取り体験できた 専門学校時代 ――どんな学生時代でしたか? 秋山 専門学校時代は、ひたすら課題に追われる日々でした。マンセル色見本に合わせて調色して、何十色というチップを作ることから始まり、醤油注しのデザインでは石膏をガリガリ削ったり、講評用のコンセプトボードを手書きしたり。小学生のときからものをつくるのが好きでしたから、時間のやりくりは大変でしたけど楽しかったです。  先生方のアドバイスは明快でした。自分の意図を的確に伝えること、求められているのは自分の作品ではなくお客さまのオーダーに応える量産品であること、そして日程厳守。これがあって、お金がいただけるようになる、と。 ――社会に出て、そのまま通用する教えですね。 秋山 学内ではパッケージやインテリアなど多角的にデザインを学び、「こういう考え方もあったのか」と、自分を広げることができました。 課題の合間を縫って、他学科から誘われたアルバイトもいい実地訓練でしたね。デパートのショーウインドーの入れ替えを閉店時から翌朝までに終わらせるという仕事で、目が回りそうでしたが、仕事の段取りがいかに大事か、この時に覚えたと今では思っています。 ――集まる学生も多彩ですか。 秋山 学生から進学してきた人だけでなく、職業経験がある人も同級生にいましたから。幅広い年齢層でしたが、デザインを学ぶ人は、みんな「いいものを創ろう」という意気込みを持っていました。そんな中で光るために、自分から何にでも顔を突っ込み幅広い知識を吸収することで実践力をつけようとしていましたね。 ――女性のインダストリアル・デザイナーは珍しかったですか? 秋山 家電の分野で女性が活躍されていました。専門学校は、よき先輩像に触れることができる場でもあったのです。 ――自分の将来に悩む人にメッセージを。 秋山 自分が何になりたいのか、じっくり考える時間を作ってください。  私の場合は何をしたいかを文章化して明確にし、それをどう実現していくか考え、行動に移してきました。大事なのは、いつまでに何をするという期限を設定すること。それが夢への第一歩だと思います。 profile  1957年生まれ。1982年、専門学校桑沢デザイン研究所インダストリアル・デザイン研究科卒業。1982年、株式会社本田技術研究所 朝霞研究所入社。主に大型オートバイの外装デザインを担当。1983年からはHRC(ホンダレーシングコーポレーション)のオン・ロード・レーサーのカラーリングを担当し、現在にいたる。 14-16p 専修学校制度制定30周年記念式典 職業教育のかなめとして、大いなる飛躍を 専修学校は、新たなステージへ。 専修学校は、制度発足以来30年間、着実な歩みを進めてきました。 職業教育のかなめとしての使命のもと、新たな時代の創造に踏み出しました。  専修学校制度制定30周年記念式典(主催:全国専修学校各種学校総連合会、後援:文部科学省、協賛:財団法人専修学校教育振興会)が、2005〔平成17〕年7月11日、東京のアルカディア市ヶ谷で、塩谷立文部科学副大臣、森喜朗専修学校等振興議員連盟名誉会長・前内閣総理大臣をはじめ、多数の来賓臨席のもと、盛大に開催されました。  専修学校制度は、昭和50年7月3日、第75通常国会において成立。「学校教育法の一部を改正する法律」が7月11日に交付されました。この日から30年目を迎え、「職業教育の日」と定めたこの日、さらなる発展に向け、新たな旅立ちをしました。 小泉純一郎内閣総理大臣祝詞(要約)  専修学校制度が創設されてから30周年を迎えられ、本日ここに記念式典が挙行されることを、心よりお慶び申し上げます。   昭和50年に制度が創設されて以来、専修学校は、実践的、専門的な職業教育を行う中核的な機関として、産業界の様々な分野に有為な人材を多数輩出し、社会から高い評価を受けてきました。  専修学校には、産業界と力を合わせて、働く意欲と能力を高める教育を一層充実され、産業の第一線で活躍する優秀な職業人の育成に努められることを期待しています。 17p 第1章 誕生期 before 1975年―1984年 文明開化、そして第二次世界大戦による焼け野原からの復興と高度成長。こうした日本の発展を支えてきた根幹に教育があります。 明治時代から社会のニーズに応えて育まれてきた庶民の職業教育の場は、多様な発展を遂げ、1975〔昭和50〕年に学校教育法に専修学校として明記され、専修学校制度が発足しました。 18-21p before1975 昭和50年以前 前史 人々の旺盛な学びの意欲に応えて 今日の専門学校(専修学校専門課程)、高等専修学校(専修学校高等課程)、そして専修学校一般課程。 これらのルーツは、明治、大正、昭和から連綿と続く、各種学校にあります。 小中高、そして大学が、してこなかったこと、できないことを、時代の求めに応えて提供してきました。 明治時代に始まる専修学校のルーツ  今日の専修学校制度は1975〔昭和50〕年に、学校教育法の改正によって成立したものです。その母体は、明治時代から続いている各種学校にあります。  明治政府は1872〔明治5〕年に「学制」を、1879〔明治12〕年には「教育令」を定め、公教育の体制を築いていきました。  一方、その官製の枠組みとは別に、個人の志に発して、あるいは人々の学習意欲に応えて、次々と多様な学びの場が開かれていきました。「教育令」は、公教育施設と、その枠に納まりきらない教育施設、人材育成機関について、「学校ハ小学校中学校大学校師範学校専門学校其他各種ノ学校トス」としました。  ここに記された「各種ノ学校」が「各種学校」の呼称の由来です。  小学校令、中学校令など学校種別の法令が制定される中、「各種ノ学校」はそれらには入れられず、私立学校令(1899〔明治32〕年)の適用を受けました。  各種ノ学校は、小学校に相当するものから、職業教育を行う施設、高等教育に相当する教育機関、そして花嫁修業の教室など、規模も内容も文字通り各種の学校が開校しました。また、公教育を補完する役割を果たしたものもあれば、独自の教育を行ったものもありました。  大正期には小学校に相当する各種学校が多く、昭和10年代には中学校校、実業学校、高等女学校に相当する各種学校がさかんとなり、生徒数は約40万人となりました。  官による教育体系の下になく、官にしばられない代わりに官からの補助もない、支えるのは校主の理念と手腕、講師の情熱、学習者の学ぶ意欲のみ、それが各種学校だったのです。 大恐慌、団体の結成へ  各種学校の多くは経営基盤が脆弱でした。社会、経済の動向に対して、柔軟に対応することなしには存続し得ないともいえました。  1929〔昭和4〕年、日本を大恐慌が襲い、公立学校では教員の俸給不払い、かく首などが起こりました。  各種学校においては、急速に経営環境が悪化する中、同年、東京私立学校協会を設立します。  1931〔昭和6〕年、鉄道院が各種学校に対して学割の廃止を打ち出すと、同協会を中心に抗議の声が上がり、陳情が行われました。  社会の求める教育を、独自の理念と教育手法に基づいて提供する教育機関である各種学校の存立基盤を確かなものにする、そのための全国規模の運動がここに始まります。 廃墟からの復興、 「教育の自由化」とともに急増  1945〔昭和20〕年8月15日、終戦を迎え、焼け跡からの日本の復興が始まります。  GHQ(連合国最高司令部)が、五大改革の一つとして掲げたものが「教育の自由化」でした。  教師1人以上、常時40人以上の生徒を擁するものは、私塾とされていたものも含め、すべて学校と認めるとされました。  これによって、各種学校は、1945〔昭和20〕年には507校、生徒数約8万1000人だったのが、2年後には約1000校、14万6000人に急増します。中でも、「子どもの服は母親が作る」など和裁、洋裁は女性のたしなみとされ、和・洋裁学校に女性が集中。1955〔昭和30〕年には、各種学校の生徒数95万8282人のうち、女性が76万3762人で、約8割を占めました。 新しい教育制度と各種学校  日本国憲法が1946〔昭和21〕年11月3日に公布されます。これに基づいて、1947〔昭和22〕年3月、教育基本法、学校教育法が制定され、新生日本の教育の骨格、新制の学校制度が世に示されました。  学校教育法の第一章、総則に「学校の範囲」が示され、第一条「学校とは、小学校、中学校、高等学校、大学、盲学校、聾学校、養護学校及び幼稚園とする」と規定しました。これらは、後に「一条校」と呼ばれるようになる学校です。  この教育体系は、いわゆる単線型といわれ、進路によって進む学校が分かれない単一のシステムで、その典型といわれているのがアメリカの教育制度です。  戦前は、複数の進路を設ける複線型でした。ドイツがこの典型で、指導層と技術・技能職を分けて養成しやすい教育体系です。初等教育は単一で、その後、進路によって分かれることから分岐型、あるいはフォーク型ともいいます。なお、ヨーロッパなどでは上流階級とそうでない階級とで教育制度が分離している国があり、これを複線型と呼ぶ場合もあります。  戦後の日本の教育体制は、単線型となりましたが、その単線型を超えて多様な教育を行ったのが各種学校です。  学校教育法の第八章、雑則の第八十三条は「第一条に掲げるもの以外のもので、学校教育に類する教育を行うものは、これを各種学校とする」としました。  1948〔昭和23〕年3月1日には、通達「各種学校の取扱いについて」が出されます。  「一以上の教科もしくは技術又はこれらの双方を教授する教育施設にして、二名以上の教員と二十名以上の生徒を有するもの」はすべて各種学校と認めることになり、それによって、1949〔昭和24〕年には、学校数3402校、生徒数は45万人近くに増えていきました。 私立学校法に規定された各種学校  当時、私立学校は、施設は戦災で破壊され、資産は戦後のインフレで価値を失い、預金は金融緊急措置令で封鎖され、新学制の実施にあたって施設・設備の充実を図らなければならない状態にありました。そのうえ、新憲法の下では私学に公の財産の支出が認められないとの議論が起こり、窮地に追い込まれていたのです。これを解決する法律として、1949〔昭和24〕年12月15日、私立学校法が公布されました。  同法は、各種学校について、第四章、雑則、第六十四条で規定しています。各種学校の設置廃止などについては、都道府県知事に私立学校審議会の意見を聞くことを義務づけました。  また、学校法人は、一条校以外に各種学校を設置でき、各種学校の設置のみを目的とする準学校法人を設立することができるとしました。準学校法人の認可基準は次の通りです。 @修業年限1年以上、授業時数1年680時間以上。 A生徒定数150人以上。 B生徒定数に応じ相当数の専任教員を有すること。 C学校の経営が営利企業的でないこと。同時に、基準に該当するものでも認可に当たっては、目的、教育課程、教員の教養程度、資産等につき公認の学校として適当であるかどうかを審査しなければならない。 各種学校規程が制定され、認可基準は都道府県の条例で定められる  各種学校は、学校数、生徒数ともに大きく伸びる中、各都道府県での格差が目立つようになりました。そこで、1956〔昭和31〕年12月5日、各種学校規程が公布され、次のように定められました。 @修業年限1年以上(簡易に修得できる技術、技芸等の課程は3か月以上1年未満)。 A授業時数1年以上の課程は1年に680時間以上(1年未満の課程では修業期間に応じて)。 B同時に授業を行う生徒数は40人以下、課程及び生徒数に応じて必要な数の教員(3人を下ることはできない)を置く。 C同時に授業を行う生徒1人あたり2・31_以上(115・70_を下ることはできない)。  各都道府県は、各種学校の認可基準を条例で定め、行政による指導が行われていきました。 地位向上に向け、全国規模で運動を広げる  各種学校は、急拡大した一方で、未整備な面も少なくありませんでした。そこで、社会的な地位や信頼を確立すべく、未だ経済の混乱の中にあった1948〔昭和23〕年12月に立ち上がったのが、東京の新宿区各種学校協会でした。その呼びかけで翌年、1949〔昭和24〕年4月2日に東京都各種学校総連合会が設立され、さらに7月24日には日本各種学校総連合会(日各総連)の発会式が開催されました。いずれも事務所は新宿区役所内に置き、以降、地位向上への運動の拠点となっていきました。  1950〔昭和25〕年の朝鮮戦争の特需を契機に日本経済は上向き始めます。翌1951〔昭和26〕年には、農業・工業・商業・水産の各高等学校長協会の運動で産業教育振興法が制定されます。これらの高等学校の施設・設備に国の補助が始まります。各種学校は産業の振興に貢献する人材を送りながらも、同法の対象とはなりませんでした。  そこで、法人立の各種学校は、1953〔昭和28〕年、日本法人各種学校総連合会(日法各)を結成し、一条校との格差是正に動き出しました。  1957〔昭和32〕年には、大蔵省が「技芸教授業を収益事業とみなして課税する」旨を文部省に伝えました。   これに対する強い危機意識から、日各総連と日法各は、1958〔昭和33〕年、一体化し、全国各種学校総連合会(全各総連)を結成しました。 ベビーブーマーの高等学校進学問題に、「技能連携制度」で対応  昭和30年代、日本は高度成長の道をひた走り、技術者不足とともに、後に団塊の世代と呼ばれる1947〜1949〔昭和22〜24〕年ごろに生まれたベビーブーマーの高等学校への進学問題が急浮上してきます。  1961〔昭和36〕年には、高等学校進学率が60%を超え、地方自治体が進学者の受け入れに追われる中、「技能連携制度」が発足します。これは、文部大臣指定の技能教育施設で学ぶことで、高等学校の単位が修得できるというしくみです。多くの各種学校が技能教育施設となって、定時制、通信制の高等学校生受け入れに協力しました。 臨調、技術者養成機関として重要性を認める  第2次池田内閣時代の1962〔昭和37〕年、行政改革を進めるための内閣総理大臣の諮問機関として臨時行政調査会(第1次臨調)が設けられました。  その中間報告で、各種学校に対する許可・届出は、文部省の主管からはずし、所轄庁に委ねるべしという趣旨の指摘がありました。  これに対して、全各総連は、公教育としての存立基盤を根底から揺るがすものとして反対に立ち上がりました。  その結果、最終報告は一転し、「各種学校は毎年多数の卒業生を産業界に送っており、技能、技術者養成機関として重要な役割を果たしている」と重要性を強調した上で、「教育内容、経営形態、学校の規模、修業年限等により、規制の要否を再検討し、その対象範囲を限定する必要がある」と提言しました。  さらに、「各種学校に対する行政は、各省により個別的に行われるよりもむしろ教育的見地から原則として文部省に一元化すべきである」としています。 文部省「専修学校構想」を発表、制度改正に動き出す  臨調の答申を受け、文部省は1964〔昭和39〕年、「専修学校構想」とする各種学校制度の改革案を発表しました。  全各総連は、1965〔昭和40〕年の総会で「各種学校教育の課題と方向」を打ち出し、「各種学校をひとつの特色ある学校群として規定し、教育の目的、内容、施設等について、実情に即した宣言規定と基準が設けられることをのぞんでいる」と示しました。  文部省は、全各総連との折衝を経て、1966〔昭和41〕年3月「学校教育法の一部を改正する法律案要項」を作成。 閣議決定されました。しかし、外国人学校の扱いをめぐって、朝鮮人学校を中心に反対運動が起こり、上程は見送られました。  法案の成立までに、なお10年近く待たなければなりませんでした。 22p 1975 昭和50年 「本案は可決となりました」 専修学校制度の誕生 全国各種学校総連合会(全各総連)が、専修学校法案(学校教育法の一部を改正する法案)の成立をめざして、新各種学校制度促進全国大会を開催したのが、1966〔昭和41〕年10月でした。 そして1975〔昭和50〕年、第七十五通常国会で自民党議員全員の賛成による議員立法として提出され、審議の後、7月3日に成立。11日に専修学校制度が公布されました  全各総連が法案成立に向けた取り組みを開始して、およそ10年。閣議決定しては、他に重要法案があるとして審議未了、そして廃案を幾度も繰り返してきました。  その間も粘り強く運動は続けられ、国会議員の間で法案の理解が深まっていきます。そうした中、文部省が国公私立大学関係団体や各界の代表者に呼びかけて発足した高等教育懇談会が、1974〔昭和49〕年3月に報告書を提出。高等教育計画の策定を提言し、法改正への機運は高まっていきます。報告書は中等教育に引き続く大学、短期大学以外の教育機関として各種学校に言及。  「中等教育に引き続く教育の機会を提供するものとしては、これら以外に膨大な各種学校がある。中等教育後の教育の問題については、このような各種学校の意義・役割、大学や短期大学等との関連等をも含めて、広く把握し検討する視点が必要である」と、各種学校は適切に位置づけられるべきである、と指摘しています。  そして、翌1975〔昭和50〕年3月11日、第七十五回通常国会において、専修学校法案(学校教育法の一部を改正する法案)は議員立法として提出されました。2日後の13日には、全各総連は専修学校制度法案期成総決起大会を霞が関の久保講堂で開催。各種学校振興議員懇談会の議員をはじめ百数十人もの議員が出席し、各種学校の関係者約1500人が集まって、必ずや法案成立を実現させようとアピールしました。  6月26日午前、法案は衆議院文教委員会で可決。午後、本会議を通過して、参議院に送られ、専修学校制度について、次のように説明が行われました。  「第1は、第一条に掲げる学校以外のもので、職業もしくは実際生活に必要な能力を育成し、または教養の向上を図ることを目的として所定の教育を行う施設は、これを専修学校とし、他の法律に特別の規定があるもの及び外国人学校を除くこととしております。  第2は、専修学校には、高等課程、専門課程または一般課程をおくこととしております。  第3は、専修学校の名称、設置等の認可、設置者等に関する規定を整備することとしております。  第4は、この法律は、公布の日から起算して6月を経た日から施行することとし、この法律施行の際、現に存する各種学校で専修学校の教育を行おうとするものは、その課程の設置認可を受けることにより、専修学校となることができることとしております」。  7月1日、法案は参議院文教委員会に上程されました。文教委員長から説明が行われた後、採決となりました。  傍聴席で全各総連の幹部が固唾を飲んで見守る中、「本案は可決となりました」との文教委員長の声が響きました。  7月3日、参議院本会議において全会一致で可決成立。こうして専修学校制度は7月11日に公布されました。後に「職業教育の日」となったのが、この日です。  7月23日には、全各総連の主催による専修学校制度成立記念祝賀会が東京・四谷のホテルニューオータニで開催され、各種学校振興議員連盟の国会議員、文部省の担当官も参加し、成立を祝いました。  その後、文部省は政省令制定の作業に入り、全各総連の意向を取り入れた学校教育法施行令が、12月27日に公布されました。 23p 1976 昭和51年 続々進む専修学校への切り替え 全各総連は全専各連へ組織名称を変更 「専修学校制度」が発足すると、多くの各種学校が専修学校へと認可申請をしました。 初年度は、893校、在籍者13万1000人 翌年度には、約2000校、在籍者35万7000人となり、その後も伸びていきます。 認可にあたって、各都道府県に対して申し入れを行う  1976〔昭和51〕年1月10日には、前年末の学校教育法施行令を受け、専修学校設置基準が公布されます。  2月12日には、全国各種学校総連合会(全各総連)と全国私立学校審議会連合会が共催して、全国専修学校対策協議会を私学会館で開催。各都道府県が認可をするにあたって、開始期日の統一や、校地・校舎自己所有の原則、目的および課程名の併記についてなどガイドラインとなるものを協議しました。  その中では校地・校舎について、次のようにしています。 @認可にあたり校地、校舎については自己所有を原則とする。 A校地については新設認可の場合でも、例えば20年程度以上の借地契約がある等、確実な保障があり、永続性があると認められるときは、借地でもさしつかえない。 B校舎については新設認可の場合でも、基準面積を超える部分について、その2分の1まで自己所有であれば、一部が借家であってもさしつかえない。  これらを、各都道府県に対して申し入れました。 切り替えの書類が窓口に集中  専修学校制度が成立すると、各学校では、各種学校から専修学校へと切り替えの認可申請に取りかかりました。申請書類は夥しい量に上り、その作成に追われる日々が続きました。  一方、申請書類を受け取る各都道府県の窓口にとっても、初めてのことであり、なおかつ、大量の書類が集中したために、1976〔昭和51〕年4月の新年度が始まるまでに、切り替えが間に合ったのは、全国でも893校のみでした。  1976〔昭和51〕年度中には、およそ2000校が専修学校の認可を受けています。  専修学校への切り替えにともなって、全各総連も組織を改めることが必要となり、1976〔昭和51〕年6月の総会で「全国専修学校各種学校総連合会」(全専各連)と改称しました。 24p 1977 昭和52年 国による専修学校の振興策 初任給、専門学校卒は短期大学なみ、高等専修学校卒は高等学校なみに 専修学校制度創設の具体的な成果は、卒業後の社会の扱いに現れました。 また、「専修学校教育に関する調査研究協力者会議」が発足し、専修学校における教育のあり方や振興策のあり方などについて調査研究が行われました。そこで、将来に向けた活発な議論が交わされていったのです。  専修学校制度が創設されると、国などによる振興策が進められていきました。  1977〔昭和52〕年度には人事院規則が改正されます。国家公務員の初任給などについての基準は、専修学校について、専門学校(専修学校専門課程)と高等専修学校(専修学校高等課程)の卒業者に対して、修業期間を学歴として算定し、専門学校は短期大学なみに、高等専修学校は高等学校なみに取り扱われるようになりました。  やがて、この扱いが地方公務員、民間企業へと広がっていき、専修学校卒業者の社会的地位を高めていくことにつながりました。  また、日本私学振興財団の貸付枠や対象範囲が広げられ、専修学校は一条校と同様の扱いとなります。  さらに税制面では、勤労学生控除、指定寄付金の対象範囲が広げられました。 専修学校における教育、振興策のあり方を探る  全国専修学校各種学校総連合会(全専各連)の要望を受けて、文部省は1977〔昭和52〕年7月に、「専修学校教育に関する調査研究協力者会議」を発足させました。  協力者会議は、専修学校教育の今後の在り方、振興策などについて、1979〔昭和54〕年7月に報告書を提出します。産業構造や就業構造など社会が変化する中で、学歴偏重ではなく個人の適性などに沿った進路選びをすることが重要で、「教育全体の構造について、その柔軟化や多様化を図ることが今日強く要請されている」としています。  そこで専修学校教育においては、専門課程は広義の高等教育機関の一環として、高等課程は広義の後期中等教育機関として(この時点では、「広義の」ということばが付けられています)、一般課程は生涯教育機関として、それぞれが担う役割に期待。また、国、都道府県の行政、財政措置の必要にも言及し、 「専修学校教育の振興のための当面の措置」として、7つの提言をしました。 @教育内容・指導方法などの充実向上。 A教員の指導力の向上(専門教育面、生徒指導・進路指導面における研修、教員の補助スタッフの研修)。 B生徒の修学上の条件などの整備(経済面での修学援助、災害補償給付などの措置、国家資格・検定についての受験資格などの改善)。 C学校経営の健全性の向上(都道府県の助成・日本私学振興財団の貸付事業・税制上の優遇措置などの拡充、個人立などの専修学校への融資に関する関係団体による債務保証などの措置の検討)。 D他の教育機関との連携。 E理解の促進(企業などへの情報提供と教学面の連携協力、高等学校、中学校の進路指導担当教員などに対する情報提供)。 F国と地方公共団体の役割など(都道府県における地域の専修学校への振興方策、国における専修学校教育の水準の向上、社会の理解の促進、指定養成に関わる省庁との連絡調整)。  ここで謳われた内容は、その後、振興策の柱として取り組まれていきます。着実に改善が進んだものがある一方、今もなお道半ばのものもあり、継続して、粘り強く改善への取り組みが続けられています。 25p 1978 昭和53年 教職員の資質向上への取り組みを開始 財団法人専修学校教育振興会の設立 専修学校が自らの質を高めるために、新たに、財団法人専修学校教育振興会が設置されます。 これより、全国専修学校各種学校総連合会(全専各連)による専修学校・各種学校の地位向上の活動は、専修学校教育振興会による教育内容の向上の取り組みと一体となって進められていきます。  全専各連は、1978〔昭和53〕年、前身の全国各種学校総連合会(全各総連)から創立20周年を迎え、6月16日、記念の総会と式典、祝賀会を開催しました。  また、式典の前日、6月15日には、財団法人専修学校教育振興会が文部省に設置認可されました。  設立の目的は、「専修学校及び各種学校の教職員の資質向上を図るとともに、その教育及び経営に関する調査研究等を行い、もって専修学校等における教育の発展に寄与すること」で、教職員の資質向上のための研修を第一の事業に掲げています。  2年前の1976〔昭和51〕年度の全専各連の総会での、教員認定などを行う財団法人の設立決議が実を結んだわけです。財団は、全国の支部の意見を反映させて教員研修規定をまとめ、4つの領域の研修、すなわち教職課程研修、専門教科別研修、教職課程指導者研修、指導者特別研修を設けることとしました。  教職課程研修は、受講者の学歴や業務経験などに応じて、A類研修、B類研修、特別研修の3つのコースを設け、それぞれ研修科目、履修時間基準を設定していきました。さらに、これらの研修を実施するため、財団の本部と都道府県支部に教員研修委員会を置きました。  財団の活動は、専修学校の質の充実と確立という点から大きな意義があり、財団設立を機に、専修学校振興の運動もステップアップしていきます。 各都道府県で立ち上がる、専修学校振興の取り組み  地方自治体でも、専修学校振興に対する取り組みが広がっていきます。  1978〔昭和53〕年5月には、「東京都専修学校振興方策懇話会」が立ち上がり、翌年10月に「専修学校の振興方策に関する展望と提言」を発表しています。その中で、高等学校が進学準備教育に偏重する一方で、就職準備教育機関としての高等専修学校(専修学校高等課程)の存在意義を指摘しています。  また、2年以上の専門学校(専修学校専門課程)の卒業者に短期大学卒業と同等資格、4年以上の専門学校の卒業者に大学卒業と同等資格、3年以上の高等専修学校卒業者に大学入学資格を、そして2年の専門学校卒業者に大学の学部3年次への編入資格を付与することを提言しています。  1980〔昭和55〕年度には県の調査費によって兵庫県専修学校等教育振興調査会が立ち上げられて報告書をまとめます。同様に、同年12月には北海道専修学校等振興方策協力者会議が、翌年5月には大阪府専修学校教育振興懇談会が設けられ、それぞれ報告書を提出しています。  青森県ではいち早く私立専修学校・各種学校経常費補助金(学校法人立対象)が、愛知県では私立学校経常費補助金が実現しています。  これらに加えて、東京都でも1984〔昭和59〕年度に私立専修学校教育振興費補助事業(高等課程)が始まりました。 さらに、私学退職金社団、教職員共済組合などに加入する都道府県が相次ぎ、教職員の福利厚生も充実していきました。 26p 1979 昭和54年 高等教育、後期中等教育を担う機関としての施策を 制度発足5年目に、文部省に専門官が置かれる 専修学校数と在籍者数は、1977〔昭和52〕年度は約2000校・約36万人、1977〔昭和54年〕度には約2400校・約42万人、1984〔昭和59年〕度には約3000校・約54万人と年々伸びていきます。 大きく成長する中、全国専修学校各種学校総連合会(全専各連)はいっそうの振興策を求めた運動を展開していきます。  全専各連は、1979〔昭和54〕年11月、振興決起大会を開催。国会議員54人の参加のもと、次の6点を当局に求めた決議文が決議されました。  『専修学校は、社会の多様化など構造変化に対応する学校教育機関として法制化されたものであり、速やかに各課程をそれぞれ大学、高等学校に並ぶ高等教育または後期中等教育を担う機関として位置づけ、次の施策が具体化されるよう、当局に強く要請する。 @学振興助成法を改正して、助成の対象とすること。 A都道府県助成を地方交付税の積算基礎に算入すること。 B高等専修学校の3年制を高等学校と同格とすること。 C学生生徒に育英奨学金制度を適用すること。 D教員の研究に奨励助成措置を講ずること。 E電気・ガス税を一条校と同等に非課税とすること。』  これらのうち、育英奨学金制度の適用については、翌年3月、「専修学校生徒に対する就学援助に関する調査研究会」の「専修学校の学生・生徒に対する育英奨学について」の報告がまとめられ、日本育英会の奨学金貸与事業が開始されました。  教員の研究に対する奨励助成措置、電気・ガス税の非課税化も同じ年に実現しました。  しかし、私学振興助成法の改正、地方交付税の積算基礎算入、3年制高等専修学校の高等学校同格化は、持ち越されました。  なお、専修学校各種学校賠償保険制度が1979〔昭和54〕年に創設され、1981〔昭和56〕年には専修学校各種学校学生生徒災害傷害保険制度が創設されます。 達成された設備費への補助、実現されない経常的経費への助成  私学振興助成法は、専修学校法(学校教育法の一部改正)とともに成立しています。  同法は、国は私立の大学、高等専門学校の教育研究にかかる経常的経費について、2分の1以内の補助ができ、都道府県が私立の高等学校以下の経常的経費を補助する場合、国は都道府県に対し、その一部を補助することができることを謳っています。これは以前からの私学助成に法的な根拠を与えたもので、対象は一条校に限られました。  全専各連は、専修学校補助の実現に向けて、1977〔昭和52〕年に全国学校法人立専修学校協議会を設け、運動を続けてきました。  そうして1982〔昭和57〕年、学校法人立専修学校(専門課程)の設備費への準用が追加され、翌1983〔昭和58〕年から国庫補助が実現しました。  しかし、専門学校への経常的経費への助成は、2005〔平成17〕年現在も実現していません。  なお、専修学校制度以前、各種学校は文部省管理局の所管でしたが、制度発足後、1979〔昭和54〕年になって、専修学校専門官および専修学校係長が新設されます。その後、1983〔昭和58〕年には、専修学校企画官が新設されました。 27p 1980〜1984 昭和55〜59年 高等専修学校に立ちふさがる、法の未整備 行政監察で信頼性向上も課題に 第二次ベビーブーム世代の中学校卒業が近づき、受け皿の整備が急がれました。 そこで注目されたのが高等専修学校(専修学校高等課程)ですが、法の未整備から、卒業後の進路は袋小路となっていました。 また、1980年代前半は、国費留学生の受け入れ、都道府県での設備費補助などが開始されました。  高等専修学校3年課程の卒業者は、専門学校(専修学校専門課程)への入学資格が認められています。ところが、認可する省庁によっては、入学の基礎資格を高等学校卒としている養成施設の場合、入学資格を得る道を閉ざしているものがありました。  こうしたことが起こるのは、そもそも高等専修学校3年課程卒業後の資格を高等学校卒業と同じとする法的な根拠がないためでした。  そこで東京では、高等専修学校振興策委員会を1980〔昭和55〕年に発足し、「高等専修学校3年課程を修了した者に、大学受験の資格を付与することを法律的に確立するようにすべきである」と求めました。  併せて、資格付与を実現させるには、高等学校の学習指導要領に対応する規定が必要であるとして、高等専修学校としての学習指導基準の制定、それに準拠する教育内容などの整備が必要であると提言しました。  1981〔昭和56〕年10月、文部省にも「専修学校教育に関する懇談会」が発足し、高等課程の振興について、専修学校関係者と学識経験者に意見が求められていきます。  懇談会は1982〔昭和57〕年6月、「高等専修学校の振興について」をまとめ、当面の措置として、中学校における高等専修学校への進学指導の充実、高等専修学校の教育課程の編成・履修方法の改善、高等専修学校間の連携・協力・就学援助、特定分野における公立校の設置などとともに、3年課程修了者への大学入学資格付与が、次のように取り上げられました。   卒業後の進路について  人間形成の途上にある青少年にとっては、卒業後の進路として多くの可能性が開かれている教育機関により魅力を感じるのは自然なことであり、教育に生き生きとした活力を与えるためには教育機関相互の流動性をできるだけ高めることが望ましい。このため、高等専修学校についても、3年以上の課程を修了した者には、その履修内容を検討のうえ大学入学の道を開くような方策を進める必要がある。  こうした動きを踏まえ、文部省は、1983〔昭和58〕年5月、大学制度弾力化の一つとして、3年制高等専修学校修了者にも大学入学資格を与えることを、大学審議会に諮りました。 専修学校急増と、生ずる問題への対処  専修学校が急増する中、総務庁は1977〔昭和52〕年、1980〔昭和55〕年と行政監察を行いました。無資格教員、設置基準以下の専任教員数など信頼性に関わる問題や、高等課程と専門課程との合同授業、職業紹介など規定に関わる問題が明らかになってきます。  また、学生の獲得をめぐって学校間の競争も激しくなり、募集時期が早期化します。そこで、全国専修学校各種学校総連合会(全専各連)では1981〔昭和56〕年度の定例総会で「専修学校の入学願書(推薦入学を含む)受付開始日を入学時期の5か月前以降(4月入学の場合は11月以降)とする」としました。 国費留学生の受け入れ  1982〔昭和57〕年度からは専修学校への国費留学生の受け入れが開始されました。初年度は14名を受け入れました。  文部省は、受け入れる留学生と外国人の教師について、入国手続きを法務省と協議。同年度11月2日付で、専修学校も大学院・大学・短期大学と同様の在留資格の適用を受けることなどを関係者に通知しました。翌1983〔昭和58〕年には、財団法人日本国際教育協会の外国人留学生医療費補助制度が、専修学校の留学生にも適用されました。 1980年代前半の様々な進展  専修学校は、学校教育法に位置づけられたことによって、新卒者の進路先としての認知が急速に高まっていきました。  高等学校の新規卒業者が専門学校に入学する比率は、1977〔昭和52〕年で6・9%でしたが、1983〔昭和58〕年には10%台に乗ります。  専門学校への進学率が大きく伸びたのは、時代を先取りする教育が高校生の学習意欲に応えたからであるとともに、国の高等教育政策が、大学、短期大学の新増設を抑制したことも背景にあります。  専修学校が学生、生徒を増やす中、国、都道府県による補助の制度も進展をしていきます。  1982〔昭和57〕年、私学振興助成法が一部改正されます。学校法人立専門学校が大型設備を購入するのに、必要な経費の2分の1以内を補助するもので、1983〔昭和58〕年度から、文部省で専修学校大型教育装置設備整備費補助が予算化されました。  都道府県では中小型教育装置設備整備費補助の制度の創設が相次ぎます。  また、教員のレベルアップに対して、文部省によって様々な事業が打ち出されていきます。財団法人専修学校教育振興会が1978〔昭和53〕年に設立されてから、文部省による専修学校教員への研修事業として、1978〔昭和53〕年に専修学校教員研修事業費補助、1979〔昭和54〕年に専修学校教員国内派遣研修、1981〔昭和56〕年に専修学校教員海外派遣研修が開始されました。  また、同じく文部省による調査・研究事業として、1980〔昭和55〕年には教員の自主的な研究を対象とする専修学校教員研究奨励費補助事業、1984〔昭和59〕年には教育内容改善のための研究を奨励する専修学校教育内容等改善研究協力校事業が始まりました。  税制面では、同年、学校法人立専修学校の寄付金の損金算入限度額が、当期の所得金額の30%相当額から、当期の所得金額の50%相当額または200万円のいずれか大きい金額に引き上げられました。 29p 第2章 発展期  1985年―1994年 バブルに浮かれ、その崩壊に苦しんだ時代。日本は自信喪失ともいえる状態に陥ります。 東西冷戦に幕が下りて世界に市場経済が広がり、日本にはデフレの波が押し寄せます。 制度が発足して10年を迎えた専修学校は、生涯学習社会への歩みとともに発展を遂げていきます。 30p 1985 昭和60年 制度発足10周年、振興・助成策が拡充 国家公務員採用試験の受験資格、年齢を専門学校生に配慮 地方交付税積算に、専修学校への補助が追加され、人事院は、2年制の専門学校(専修学校専門課程)卒業者に、国家公務員試験U種の受験資格を与えるなど、専修学校に学ぶ学生・生徒に対する制度的改善が図られていきます。  専修学校制度が成立して10周年を迎えた1985〔昭和60〕年7月1日、私学会館で、専修学校制度10周年記念式典が全国専修学校各種学校総連合会(全専各連)の主催で行われました。  大沼淳全専各連会長、松永光文部大臣のあいさつをはじめ、多数の国会議員の祝辞が式典、祝賀会を盛り立てました。  翌2日には九段会館で、「国際社会と教育」をテーマに、ソニーの盛田昭夫代表取締役会長による記念講演が行われ、続いて、シンポジウム「専修学校21世紀への展望」が、大塚雄司専修学校等振興議員連盟事務局長、木田宏日本学術振興会理事長、堤清二西武流通グループ代表、大沼全専各連会長によって行われました。  シンポジウムでは、模範解答のないこれからの時代を生きるにあたって、専修学校は次代を創造する教育を行う専門教育機関として、オリジナリティーをもつことの重要性が確認されました。  10周年記念事業としては、さらに、10月に駒沢オリンピック公園総合運動場体育館で卓球大会を開催しました。団体は男子15チーム、女子14チーム、個人は男子88人、女子86人が参加しました。  また、全専各連の事務局は、10周年を機に、九段ポンピアンビルから、私学の様々な団体が集まる私学会館別館に移転しました。 専修学校の地方交付税積算が決定  10周年の区切りは、助成、振興が拡充した年でもありました。  助成では、専修学校の地方交付税積算が決定しました。地方交付税は、地方自治体の必要経費のうち、地方税で賄えない分を、国税で一定割合、各自治体に公平に補填するものです。  初年度は標準県100万円、総額7000万円で開始されました。  また、この年、国家公務員採用試験制度が改正されました。  新設されたU種試験の受験資格は、21歳以上29歳未満となりましたが、これでは多くの専門学校生が受験できません。   そこで、全専各連は人事院と文部省に働きかけ、専門学校生は20歳未満でも受験資格が認められることになりました。  なお、その際の要件は次の3点です。 @修業年限2年以上の専門課程。 A授業時数が1600時間以上。 B履修の成果が筆記試験その他の方法により認められることを卒業の要件にしている。 31p 1986 昭和61年 3年制高等専修学校卒業者に、大学入学資格を付与 後期中等教育機関としての位置づけが確立 中曽根内閣(第2次)は臨時教育審議会を発足。社会の高度化、国際化、高齢化などに対応した教育のあり方を探ります。 臨教審答申が打ち出したのが「生涯学習」でした。この中の「具体的改革提言」を受け、3年制高等専修学校(専修学校高等課程)は後期中等教育機関としての位置づけが明確になり、進路選択の道が広がります。  中曽根康弘首相のイニシアティブで内閣直属の臨時教育審議会が1984〔昭和59〕年に発足します。25人の委員、20人の専門委員からなり、大沼淳全国専修学校各種学校総連合会(全専各連)会長も専門委員の一人となりました。  審議会は、「個性重視の原則」を謳う第1次答申(1985〔昭和60〕年6月)に続く第2次答申(1986〔昭和61〕年4月)で「生涯学習体系への移行」という教育再編成の方向を示しています。そして、第3次答申(1987〔昭和62〕年4月)で施策を打ち出しています。  3年制の高等専修学校卒業者への大学入学資格の付与は、専修学校関係者の強い願いでした。臨教審は、これを第1次答申で取り上げ、「受験競争加熱の是正のために」という項目の中で、次のように提言しています。 「2.機会の多様化・進路の拡大  @大学入学資格の自由化・弾力化 高等教育の門は可能なかぎり多様で幅広くすべきであるとの基本的認識の下に、修業年限3年以上の高等専修学校の卒業生などに対し、大学入学資格を付与することについて、政府においてできるかぎり速やかにその具体的方途を検討すべきである。」  この答申から3か月後の9月19日、3年制高等専修学校の文部大臣指定校修了者は、「大学入学資格に関し高等学校を卒業した者と同等以上の学力があると認められる者」として官報告示されました。指定の要件とされたのは、 @修業年限3年以上。 A卒業に必要な総授業時数2800単位時間以上。 B普通科目(国語、社会、数学、理科または外国語)の総授業時数は420単位時間以上、ただし105単位時間までは教養科目(芸術、保健・体育、家庭、礼儀・作法など)で代替することができる、など。  指定は、文部省が各学校の学科ごとに行い、初年度の1986〔昭和61〕年度は、全国で123校140学科が指定を受けました。  以降、毎年10月の官報で、翌年度の新規大学入学資格付与指定校が告示されています。3年制高等専修学校が高等学校と並ぶ後期中等教育機関と位置づけられたことで、指定校卒業者は大学、短期大学へと進学先が広がりました。また、保母、栄養士など公的職業資格取得の道も開かれました。  なお、2001〔平成13〕年に高等学校の学校教育施行規則が変わり、卒業に必要な単位数が80から74に引き下げられたことにともなって、現在では卒業に必要な総授業時数は2590時間となっています。 専修学校の無料職業紹介事業が、許可制から届出制に  学校が学生・生徒に仕事を紹介をする場合、それは、職業安定法により、無料職業紹介事業とされています。専修学校は職業教育機関でありながら、この無料職業紹介事業を行うには、労働省に許可をとることが必要でした。一方、高等学校、短期大学、大学は届出をするだけで済んでいます。  それが、人材派遣法の成立に関連して職業安定法が改正され、専修学校も高等学校、短期大学、大学などと同様に1986〔昭和61〕年7月1日から届出制になりました。  このことも、専修学校の職業教育機関としての機能の充実、強化の一助となりました。 32p 1987 昭和62年 制度発足10周年、振興・助成策が拡充 国家公務員採用試験の受験資格、年齢を専門学校生に配慮 専修学校は、時代に即応する教育機関です。日本の社会と教育がダイナミックに変化する中、全国専修学校各種学校総連合会(全専各連)は専修学校制度を見つめ直す作業に取りかかりました。  全専各連は専修学校制度を時代に合ったものに改めるべく、専修学校各種学校制度検討委員会を発足し、シンポジウムと全国の支部へのアンケートを踏まえ、1987〔昭和62〕年6月に制度改正の最終案をまとめました。  これからの専修学校各種学校制度のあり方についての提案 @課程別と名称のあり方:専門課程、高等課程、一般課程の名称を廃止し、それぞれ専門学校、高等専修学校、生涯学校(仮称)と別個に位置付けし、独立の規程・設置基準を設ける。一般課程と各種学校を統合し、基準の弾力化をはかって、生涯学習機関としての位置付けを明確にする。 A修業年限と最低授業時数:専門学校は2年以上、高等専修学校は3年制を原則とする。指定養成施設の場合、修業年限の上限について省庁間の調整をはかる。最低授業時数は専門学校、高等専修学校の実情に合わせて基準時間を引き上げ、一般課程と各種学校については基準緩和をはかる。 B教員資格:一条校とは異なった教員資格を明確に定める。 C最低の生徒(学生)定員数:専門学校は総定員を80人以上とし、高等専修学校は総定員120人以上とすることが望ましい。生涯学校は必ずしもその限りでない。 D最低施設条件と所有権:「保有」が原則であるが、都道府県によって統一されていないので統一が望まれる。学校規模の著しい格差が生じており、最低条件は検討の余地がある。 E設置者(学校法人、他法人、個人):専門学校、高等専修学校は学校の公共性、永続性の観点から学校法人が望ましい。生涯学校は必ずしもその限りでない。 Fカリキュラム:専門教育とともに一般教育科目の充実をはかる。3年制高等専修学校については大学入学資格の付与、専門学校については4年制大学の3学年編入、大学、短期大学との単位互換が望まれる。 G卒業にともなう各種の卒業資格:2年制専門学校卒業生の各種卒業資格は短期大学と同等に扱うこと。専修学校と各種職業資格・技能検定との関連について、検討と改善を加えること。 H学科による分野別分類とその名称:社会の高度化、多様化によって分野の区分が困難になっており、検討の余地がある。 I国際化への対応: ――外国人留学生受け入れ問題――  国費留学生制度の充実、私費留学生の受け入れ体制整備、日本語学校の整備充実等の諸施策を推進していきたい。 Jその他の振興策:専修学校の地域的普及を推進すること。  文部省の臨時教育審議会(臨教審)の第2次答申は、高等教育機関の範囲を次のように示しました。 「現在我が国において高等教育段階の機関に数えられるものには、大学院、4年制大学、短期大学、高等専門学校、専修学校専門課程、高等学校卒業以上を資格とする各種学校や政府各省庁の教育機関などがあり、(中略)今後、それぞれの目的と役割に応じて、その個性化、多様化を推進し、相互の連携と協力を深めるよう努めなければならない」 短期大学、高等学校と同等の公的職業資格取得の受験資格が認められる  全専各連は、1986〔昭和61〕年10月、臨教審に対して、「公的職業資格取得の要件に関する要望書」を提出。次の4つを求めました。 @公的職業資格取得の要件に関して、専修学校専門課程(2年制以上)卒業者については、短期大学卒業者と同等に扱うこと。 A専修学校高等課程(3年制以上)卒業者については、高等学校卒業者と同等に扱うこと。 B公的職業資格関係法令中、短期大学や高等学校と「同等以上」の学歴を資格取得要件として規定しているものについては、専修学校専門課程(2年制以上)や高等課程(3年制以上)が「同等以上」に該当することを明確にすること。 C専修学校と一条学校との連携を推進すること。  同時に、全専各連は各種国家公務員の採用について、人事院に陳情を行いました。専門課程2年制以上の卒業者には航空管制官、外務省専門職員の受験資格を、高等課程3年制指定校卒業者には航空保安大学校生、海上保安大学校生、海上保安学校生、気象大学校生の受験資格付与を求めました。  人事院は関係省庁と調整し、1987〔昭和62〕年2月、これらすべてに受験資格が認められることになりました。 33p 1988 1989 昭和63年 平成元年 専門学校への進学率、大学に次ぐ 消費税導入に「公平」「教育非課税」を訴え、非課税を実現 戦後のベビーブーマーの子どもたち、団塊ジュニア世代が高等学校を卒業したのが、昭和の終わりから平成のはじめにかけてでした。 18歳人口が増加する中で、高等教育機関への進学も構造的な変化を遂げていきます。  丙午生まれにあたる1985〔昭和60〕年度の高等学校卒業者は、前年度より約11万人少なく、約137万人でした。以降、18歳人口は増加を続けます。 文部省は新高等教育計画を手直しし、大学、短期大学など高等教育機関への入学定員を増やしますが、志願者はそれ以上に増え、その結果、不合格者も増加します。1990〔平成2〕年度の不合格者数は史上最高の44万人に達したのです。  そうした動きの中で、1988〔昭和63〕年には、専門学校(専修学校専門課程)進学率は12%台に上り、短期大学を上回ります。  短期大学が伸び悩んだのは女子の4年制大学志向が高まったためといわれます。 また、専門学校の男女比は、1985〔昭和60〕年に42対58であったのが、学生数のピークとなった1993〔平成5〕年には48対52となりました。 過熱する広報活動に自主規約で適正化を進める  専門学校は入学者数を大きく伸ばしていきますが、それは激しい学生獲得競争とともにありました。  南関東ブロック専修学校等広告倫理綱領委員会が1985〔昭和60〕年12月に設けられ、会合を重ね、「専修学校・各種学校の表示に関する自主規約」を定めました。翌1986〔昭和61〕年度の第28回南関東ブロック会議で、それが提案され、了承されました。  自主規約は、例えば、事実と著しく異なる表示や、実際よりも著しく優良、有利であると誤解されるような不適切表示を禁止。「全国一」など最高級の優位性や唯一性を示す用語は、客観的事実に基づく数値、確実な根拠を示すことなしには掲載しないこと、「絶対」「100%」などの完璧性を謳わないこととしています。  また、文部省も専修学校の広報活動について関心を示し、同省による「専修学校教育の改善に関する調査研究協力者会議」(1986〔昭和61〕年発足)は、1987〔昭和62〕年6月に提出した報告書で、「適正な生徒募集の在り方」について提言しています。  そこには、広告表示の適正化を図ることの他に、専修学校の概要表(仮称)の作成と活用、高等専修学校(専修学校高等課程)の広報の充実、中学校・高等学校の進路指導資料の作成、そして専修学校の学校見学会の開催などが盛り込まれました。  それを受けて全国専修学校各種学校総連合会(全専各連)は、1987〔昭和62〕年6月の定例総会で自主規約を採択。1989〔平成元〕年、理事会での決定を受けて、広報委員会を設置しました。  高等学校との連携を強めるとともに、「専門学校概要」をそれぞれの県などで作成し、活用を徹底し、併せて、自主規約の遵守を全国に広げていきました。(P131参照)  1989〔平成元年〕年、消費税が導入されました。  政府税制調査会が1986〔昭和61〕年に売上税の導入を打ち出した際、大学、短期大学、高等学校などは課税対象に入れず、専修学校は対象とされました。そこで、全専各連は、これに反対の声を挙げ、税制改正大綱には専修学校・各種学校(1年以上)とも非課税とすることが盛り込まれた、という経緯があります。  消費税についても同様に「公平」「教育非課税」を訴え、非課税を実現しました。 34p 1989 平成2年 生涯学習振興法が成立本格化する、文部省の生涯学習への取り組み 多くの人にとって耳新しい概念であった「生涯学習」は、生涯学習振興法の成立によって、法的に裏づけられました。 文部省の取り組みも、イベント、地域での取り組みと行われ、都道府県レベルでも生涯学習促進事業が広がっていきました。  「生涯学習の振興のための施策の推進体制等の整備に関する法律」(生涯学習振興法)が1990〔平成2〕年6月に成立し、7月から施行されました。  同法の柱の一つは、文部省に生涯学習審議会を設置して、生涯学習についての施策を関係省庁に建議することができること。  もう一つは、各都道府県は、地域での社会教育や文化活動などを行う地域生涯学習基本構想を立てたり、生涯学習審議会を設置したりすることができるということです。  1988〔昭和63〕年に文部省の機構改革が行われ、社会教育局に代わって、生涯学習局が設置されました。この法律が施行されたことによって、生涯学習に法的な裏づけができました。  生涯学習局は文部省の筆頭局に位置づけられ、学校教育、社会教育、スポーツや文化活動にわたる生涯学習を推進する総合的な企画・調整を行うことを目的としています。  専修学校は、それまで高等教育局私学部私学行政課が所管していました。新たな生涯学習局のもとには専修学校教育振興室が設けられました。 「まなびピア」、開放講座がスタート  文部省の生涯学習への取り組みは、本格化し、1989〔平成元〕年11月、第1回生涯学習フェスティバル「まなびピア89」が、千葉県の幕張メッセのこけら落としとして開催されました。数多くの専修学校のブースも設置され、生涯学習への取り組みを紹介しました。以降、生涯学習フェスティバルは、各都道府県をめぐりながら開催されていきます。  また、1990〔平成2〕年度は、文部省の専修学校補助による開放講座事業がスタートしました。  これは、住民の多様な学習ニーズに応え、地域の学習機会を整備することをねらいとしています。専修学校の持つ専門的教育機能を地域に開放し、住民の生活や職業に必要な知識・技術や、一般教養についての学習機会を提供していこうというものです。  全国で235講座、約7000万円が予算化され、1校あたり30万円が補助されました。  また、都道府県レベルでも同様の生涯学習促進事業が広がっていきました。  いち早く1985〔昭和60〕年に取り組みを開始していたのが群馬県でした。社団法人群馬県専修学校各種学校協会主催による生涯学習促進事業の参加校に補助金が交付され、受講料無料の講座が開かれました。これは今日まで続けられています。  また、栃木県では1992〔平成4〕年に「とちぎ教育の日」のイベントがスタートし、社団法人栃木県専修学校各種学校連合会はこれに参加。講演の他、今日では学生・生徒による研究発表も行われるなど、継続して取り組まれています。 このように講座やイベントの他、生涯学習ガイドの発刊など、行政の支援を受けて各地で様々な振興策が立ち上がり、その後も進められていきました。 35p 1990 平成3年 大学などによる単位認定の制度を創設 大学設置基準の改正が行われる 18歳人口の急増の後には、急減がやってくる。そうした事態に向けて、文部省の大学審議会は、「自由競争」「自然淘汰」の方向を提示します。 そして文部省は、専修学校での学びが、大学で単位として認められる制度を創設します。  1991〔平成3〕年5月、大学審議会は答申を発表しました。高等教育計画部会は、近い将来に18歳人口の急減を控え、「経営環境が厳しくなり、私学が廃校に追い込まれる場合もある」と指摘し、自由競争重視の考えを示しました。  その方向のもと、大学教育部会は、各大学が自主的にカリキュラムを編成できるようにする大学設置基準の大綱化を提言し、大学以外の教育施設での学習の成果を大学の単位認定の対象とすることを提唱しました。また、自己点検・評価システムの確立、学士号の種類の廃止、学位授与機関の創設なども提言しています。  同年6月、文部省はこれらを踏まえて、大学設置基準を改正し、7月1日から施行しました。  新しい設置基準には「自己評価等」として、教育研究活動の自己点検と評価に努力規定を設けています。  そして、「文部大臣が別に定める学修を、当該大学における授業科目の履修とみなし、大学の定めるところにより単位を与えることができる」とし、「別に定める学修」については「専修学校の専門課程のうち修業年限が2年以上」で「大学教育に相当する水準を有する」ものとしています。  そして、これによって与えることのできる単位数は、大学は30単位まで、短期大学は15単位までとしています。  認定については、それぞれの大学に任されますが、これが専門学校(専修学校専門課程)と大学・短期大学との単位互換、編入学につながっていきました。 分かりやすい専修学校制度をめざして、全専各連が提言  同年6月、全国専修学校各種学校総連合会(全専各連)は総会において、専修学校制度のあり方について提言をしました。その内容は、  「分かりやすい専修学校制度」とするために、現在の課程区分ではなく、専門学校設置基準と改定すること。  修業年限は2年以上で、年間授業時数は800時間から1000時間に増やすこと、定員数や施設なども高等教育機関にふさわしいものに引き上げていくこと、また設置者は学校法人を原則とすること。  また、専門学校の教育そのものの質の向上について、専門学校教育の基準化、教員の資質の向上とともに、自己評価システムの導入を提言しています。 文部省、「専修学校への進路指導の手引」を刊行  文部省は、中学校・高等学校での進路指導のための教員向けのテキストとして「専修学校への進路指導の手引」を編纂し、1991〔平成3〕年3月に刊行。  これは、総務庁行政監察局が1987〔昭和62〕年1月にまとめた行政監察結果報告書での求めに応えたものです。  同報告書では、過熱する専修学校の募集活動と広告について改善され、かつ高等学校、中学校で適切な進路指導が実施されるよう、文部省が指導していくことを求めていました。 1991 平成4年 専門学校の課題に取り組む 18歳人口の減少を目前に 専門学校の成長は著しく、文部省の中央教育審議会、大学審議会、生涯学習審議会などにおいても大学、短期大学と並ぶ重要な高等教育機関として取り上げられて、その存在感を増していきました。そうした中で、全国専門学校協会が発足しました。  文部省の生涯学習審議会は1990〔平成2〕年8月に発足し、1992〔平成4〕年7月に答申「今後の社会の動向に対応した生涯学習の振興方策について」を提出しました。当面重点をおいて取り組むべき事項として、次の4点を挙げています。 @社会人を対象としたリカレント教育の推進。 Aボランティア活動の支援・推進。 B青少年の学校外活動の充実。 C現代的課題に関する学習機会の充実。  これらに対して、「専門的技術教育や職業教育の分野では、専門学校の機能を積極的に活用することが望ましい」とし、「専門学校の卒業生に大学編入資格等を認めることについて、社会人の大学における学習機会を広く確保し、産業界の技術者等の充実を図る観点からも、今後検討」することを求めています。  また、リカレント教育の評価の中で、「専門学校等における学習で習得した専門的・実践的な知識・技術等の学習成果に対して一定の称号を付与するなど、社会的な評価を確立するための方策を検討することが必要である」としています。 全国専門学校協会の発足  全国専門学校協会が1992〔平成4〕年、全国専修学校各種学校総連合会(全専各連)の課程別部会として全専各連の総会で承認され、11月、全国から約500人が出席して設立総会が開かれました。  専門学校(専修学校専門課程)は、18歳人口の減少を目前にして、大学、短期大学との格差が依然としてあるため、危機感を募らせていました。それが協会設立につながりました。  「まず学校法人立の専門学校が、自らの姿勢をただし、総力を挙げて課題に取り組む」と、発起人代表の大森厚全専各連会長は、設立総会で呼びかけました。  当面する課題として、次の点が挙げられました。 1.制度改革関係 @専門学校から大学への編入学制度を認めること。 A専門学校卒業生の学歴評価となる公的称号授与制度を創設すること。 B関係法令中にある「準学校法人」の表現を「学校法人」に改めること。 2.留学生関係 @専門学校卒業生に日本での「就労ビザ」を発給すること。 A留学生の学費一部免除を行う専門学校に免除相当額の国庫補助を実現すること。 B専門学校留学生の帰国後の学歴を保障すること。 3.税制改正関係 @学校法人立専修学校を特定公益増進法人に追加すること。 A財団法人専修学校教育振興会を特定公益増進法人に追加すること。 B私学振興財団を通じて行う非課税寄付の範囲を経常費にまで拡大すること。 4.日本育英会奨学金関係 @奨学金の支給対象となる学生数を大学並に拡大すること。 A留学生に対する特別奨学金制度を新設すること。 5.補助金関係 @私学振興助成法改正による経常費に対する国庫補助を実現すること。 A現在行われている大型設備費補助の大幅な増額を早期に実現すること。 B地方自治体による助成制度を拡充すること。 37p 1993平成5年 高等専修学校での学習を、高等学校の単位として認定 生徒の選択肢を広げ、弾力的な教育制度へ 文部省の中央教育審議会は、「新しい時代に対応する教育の諸制度の改革」案を打ち出し、文部省は学校教育法施行規則を改正。 高等専修学校(専修学校高等課程)での学習は高等学校の単位として認定することができるようになりました。 そして、専修学校と大学、短期大学、高等学校などとの税制面での格差を解消。専修学校関係者による運動は一歩ずつ前進していきます。  第14期中央教育審議会の学校制度に関する小委員会は、高等学校の教育の改革と、これに関連する高等教育の課題と生涯学習の基盤整備について審議し、1991〔平成3〕年4月の最終答申で、「新しい時代に対応する教育の諸制度の改革」案を打ち出しました。  それは、高校生の選択肢を広げ、コース替えなどの自由を認めた多様で弾力的な方向を示したものでした。  そして文部省初等中等教育局は、ここでの提言を具体化する作業に入り、翌1992〔平成4〕年6月、「専修学校の学習成果を高等学校の成果として認めること」という提言に対して、合計20単位以内で認める方向を示しました。  これを受けて文部省は、学校教育法施行規則を改正、1993〔平成5〕年4月から、高等専修学校での学習が高等学校の単位として認定されるようになりました。 税制に対する粘り強い運動  「特定公益増進法人」という制度があります。  これに指定されると、個人が寄付をした場合には、所得の25%まで寄付金額マイナス1万円の所得税の控除が申請できます。(平成17年より30%に)  企業が寄付をした場合は、一般寄付における控除の限度額とは別に、それと同額が損金算入できるという制度です。  これが適用されるのは、大学、短期大学、高等学校などの一条校で、専修学校は含まれていませんでした。  専修学校の特定公益増進法人化に向けた運動は、全国専門学校協会を結成して、専修学校等振興議員連盟の支援を得て強力な陳情をすることで、実現に向かって大きく動いていきました。  1993〔平成5〕年、税制の改正が行われ、特定公益増進法人の範囲に、一定の専修学校を設置する準学校法人が追加されたのです。  特定公益増進法人の対象となる準学校法人とは、 @専門課程または高等課程を設置する専修学校。 A授業時間数が専門課程は1700時間以上、高等課程は2000時間以上。  税制上の優遇措置がとられたことによって、寄付金が受けやすくなり、教育の質の向上や経営の安定につなげることができるようになりました。  かつて消費税が導入された1989〔平成元〕年には、「公平」「教育非課税」を原則に陳情し、一条校と同じ扱いを実現しています。  また、1992〔平成4〕年1月から施行された地価税は、学校法人立の専修学校・各種学校は非課税とする措置がとられました。  1994〔平成6〕年度、相続税関係で「相続財産を贈与した場合の相続税の非課税制度の対象となる法人の範囲」に「一定の専修学校を設置する準学校法人」が追加されました。  なお、非課税対象となる準学校法人の要件は、特定公益増進法人と同様です。これによって、準学校法人に対して、相続や遺贈によって取得した財産を贈与した場合、一条校と同じようにその相続税が非課税となりました。 38p 1994平成6年 自由競争の時代へ 学習の成果を評価。学校間の連携もスムーズに 大学が自由競争の時代になるとともに、文部省は専修学校制度の見直しに取りかかりました。学習の成果を適切に評価するための措置として、専門学校(専修学校専門課程)修了者への「専門士」の称号付与に関する規定を制定。翌年から専門士が誕生します  文部省は、1994〔平成6〕年3月に大学入学資格検定(大検)規定の一部改正を行い、高等専修学校(専修学校高等課程)の学修および知識・技能に関する審査(技能審査)の合格者に対し、大検の受験科目を一部免除することになりました。  高等専修学校については、大学入学資格が付与されている3年制の学科の中退者などに対して、修得済みの授業科目のうち、大検受験科目に相当する科目を一定時間以上履修した場合、その科目の受験が免除されます。  技能審査の合格者に対して免除される受験科目は、次のものです。 @英語:実用英語検定(日本英語検定協会)、英語検定試験(全国商業高等学校協会)の2級以上の合格者。 A簿記会計:簿記実務検定試験(全国商業高等学校協会)、簿記検定試験(日本商工会議所)、簿記能力検定試験(全国経理学校協会)の3級以上の合格者。 B情報関係基礎:情報処理活用能力検定(J検)(財団法人専修学校教育振興会)。 専門学校修了者への「専門士」 の称号付与を告示  大学設置基準が大綱化され、大学が自由競争の時代になり、文部省は専修学校制度の見直しに取りかかりました。  「専修学校教育の充実・振興に関する調査研究協力者会議」を1992〔平成4〕年5月に設け、1994〔平成6〕年2月に報告書をまとめました。  専修学校、とくに専門学校の現状について「高等教育人口の約20%を占め、入学者数では36万1000人で高等教育全体の入学者数の約31%を占めるまでに至っている」と述べ、次のような課題を挙げています。 @専修学校の一層の充実を図る必要がある。 A社会人・職業人の学習ニーズに対するリフレッシュ教育をはじめ、リカレント教育の面での専修学校に期待。積極的な対応を求める。 B生涯学習社会の構築のため、学習の成果を適切に評価していくための措置が必要。 C大学など他の高等教育機関との連携・協力により、教育内容の充実を図ることが必要。また、より高度な学習を希望する者に対して大学等における学習の機会の提供を推進することも必要。  これらの提言に基づいて、文部省は、1994〔平成6〕年6月21日、専修学校設置基準の一部を改正する省令と、専門学校修了者に対する「専門士」の称号付与に関する告示を出しました。  改正された内容は、専門課程では、総授業時数の概ね10分の8程度を専門教育にあてるとした従来の規定を廃止して、「授業科目の開設に当たっては、豊かな人間性を涵養するように適切に配慮しなければならない」としました。  また、「他の専修学校等における授業科目の履修等」で、高等課程では他の高等課程の授業科目の履修を、専門課程では他の専門課程の履修または大学、短期大学における学修その他文部大臣が別に定める学修を、総授業時数の4分の1を超えない範囲で、それぞれの課程における選択科目の履修とみなすことができるとしています。  こうした連携を図りやすくするため、授業時数を単位数に換算する計算方法も定めています。また、社会人の受け入れを推進するために昼夜開講制、科目等履修生について規定を設けています。また、分野区分について、「家政関係」を「服飾・家政関係」に改めました。 39p 第3章充実期 1995年―2000年 バブル崩壊の後遺症から抜け出せずにいる日本の経済。その一方で、ハイテク化、国際化の進展はめざましく、産業、雇用など様々な構造的な転換の時代を迎えます。 こうした時代にあって、職業教育へのニーズはより広がって、専修学校もそれに応えるべく努力を重ねていきます。 40-41p 1995 平成7年 専門士の誕生。1年目は23万人 専門学校卒業者の社会的評価向上へ 職業教育のかなめである専門学校(専修学校専門課程)で身につけた知識、技術、技能、そして仕事に対する姿勢など、プロとしての能力が社会で正しく評価されるべき――。 そうした長年の強い願いがかなえられました。 1995〔平成7〕年1月、文部大臣によって、専門学校卒業者に「専門士」の称号が与えられ、日本全国に23万人の専門士が誕生しました。以来、毎年、多くの専門士が社会に巣立っています。  文部省は1994〔平成6〕年6月、一定の要件を満たす専門学校を卒業した者には「専門士」の称号を付与するという、新たな制度を創設しました。  この制度は、専門学校での学びの成果が、称号を付与することで適切に評価され、課程修了者の社会的評価が高められることによって、生涯学習の振興が図られていくことを目的としています。  要件とは、次の通りです。 @修業年限が2年以上であること。 A課程の修了に必要な総授業時数が1700時間以上であること。 B試験等により成績評価を行い、その評価に基づいて課程修了の認定を行っていること。  これに基づいて、文部大臣が認めた課程を、毎年、官報で告示していくこととなりました。初年度の1994〔平成6〕年度は、1995〔平成7〕年1月23日に発表。2085校、4554学科が認定され、全専門学校の73%、学科数は63%に上りました。  こうして、2年制以上の専門学校で、1700時間以上の授業を受け、必要な成績を修めて卒業した、約23万人が専門士の第1期生となったのです。以後毎年、続々と専門士が誕生しています。 「どの学校を出たか、よりも、何ができるのか」で選ばれる時代の称号  大学を卒業すれば学士(学位)、短期大学を卒業すれば準学士という称号が与えられます(2005〔平成17〕年度からは短期大学卒業者は短期大学士という学位が与えられます)。  ところが、大学、短期大学卒とならぶ高等教育機関であり、入学者は1991〔平成3〕年度には高等学校卒業者の約15%にも上っていたにもかかわらず、専門学校卒業者には、これらに相当する称号がありませんでした。  そこで、専門的な職業教育を受け、必要とされる技術、技能、知識を身につけたことを証明するものとして、専門士の称号が付与されることになったのです。  すなわち、学歴よりも、学ぶ本人のニーズと人材を求める社会のニーズに即した、「どの学校を出たか、よりも、何ができるのか」で選ばれる時代の能力の証明が、なされるようになりました。  なお、専門士の英訳は、文部省は technical associate としました(文部科学省発行の英文パンフレット"Specialized Training Colleges"などに記載)。technical は専門能力を示し、associateとは、短期大学卒業の準学士あるいは大学の短期コース卒業同等、つまり高等教育機関での2年間の課程修了者を意味しています。  専門学校で2年間の課程を修了すると、短期大学卒業と同等の待遇とすることが、1977〔昭和52〕年の人事院規則改正で既に定められており、それが、後の大学への編入学へとつながっていきます。 学校教育法に専修学校が謳われ、 制度制定から20年  1995年〔平成7〕7月、専修学校制度は20周年を迎えました。  5日、これを記念する式典が、全国専修学校各種学校総連合会(全専各連)の主催、文部省の後援で、東京のアルカディア市ヶ谷において、盛大に開催されました。  与謝野馨文部大臣をはじめ、多くの来賓が臨席し、全国から専修学校関係者約500人が集まり、制度制定からの20年の歩みを祝い、専修学校の教育がいっそうの発展を遂げるよう、決意を新たにしました。  全専各連の大森厚会長は、従来の学校主体の教育だけではなく、これからの生涯学習社会の構築に向けて、専修学校が大きな力を発揮していかなければならないと挨拶しました。  続いて、与謝野馨文部大臣からの挨拶は、  「専修学校は、昭和50年に学校教育法の一部改正により制度が創設されて以来、時代と社会の進展に対応して発展し、学校数で3400校、生徒数で84万人を数えるにいたりました。  社会の変化に適切に対応して、実践的な職業教育、専門技術教育の充実に貢献するとともに、多くの有為な人材を送り出し、わが国の高等教育および後期中等教育のなかで、重要な役割を果たしています。  21世紀が間近に迫っている今日、次の世代がわが国社会を真に創造的でダイナミックなものとするために、また国民一人ひとりがゆとりと潤いのある生活を実感し、多様な個性を発揮しながら自己実現を図ることができるような質の高い社会をつくっていくうえで、教育の果たすべき役割はますます重要になると考えます。  専修学校教育につきましても、その特色をいっそう発揮し、個性豊かで真に実力の備わった人材を育成するとともに、地域の人々に対して様々な学習の場を提供することが求められております。  今後も社会や国民の多様な要請に応え、つねに教育内容の改善・充実に努められるよう期待します」  と専修学校への期待とともに、専修学校設置基準の改正と、専門課程修了者の社会的評価向上のために、専門士の称号を付与できるようにした文部省の取り組みについて語られました。  自由民主党の国会議員の有志による専修学校等振興議員連盟会長の原田憲衆議院議員からは、文部省に生涯学習局が設置されたことは21世紀に向けた教育の方針の一つ、その真価はこれから、と専修学校へのエールが送られました。  また、専修学校教育功労者201人に文部大臣表彰が、487人に全専各連会長表彰が行われました。 校舎が一瞬にして崩れ去り、瓦礫の山と化して  1995〔平成7〕年1月17日未明、阪神・淡路大震災が発生。犠牲となった方は6000人を超え、専修学校各種学校の教職員、学生・生徒、合わせて19人が帰らぬ人となりました。  校舎が一瞬にして崩れ去り、瓦礫の山と化した専修学校・各種学校もあり、被害は、兵庫、大阪地区を中心に、延べ203校に上りました。コンピュータなどの教育機器の損壊もあって、再開のめどが立たない学校も数多くありました。  一体、どのように復旧し、授業を再開したらよいのか、瓦礫を撤去するだけでも1校当たり、およそ3000万円が必要でした。  「激甚法適用へ運動開始」  震災発生から9日後の1月26日、『広報 全専各連』は、こんな見出しの号外を出しています。激甚法とは、「甚大災害に対処するための特別の財政援助等に関する法律」です。  その第十七条は、激甚災害を受けた私立の学校に対して、国は、復旧に要する工事費と事務費の半分を補助することができる、といった内容を謳っています。 ところが、専修学校は私立の学校でありながら「適用外」です。  なぜなら、ここでいう私立の学校とは、学校教育法第一条に規定する学校をいうとあり、専修学校は第八十二条の二の「第一条に掲げるもの以外の教育施設」だからです。 第一条に定める学校と同様に、施設・設備の復旧費の半額補助を実現  社団法人兵庫県専修学校各種学校連合会(兵専各)は、県に掛け合ったものの、「学校なのだから国に頼むのが筋」と言われ、国に交渉をすれば、「認可官庁の県へ」と、なかなか進展しませんでした。  4万人に上る学生・生徒が1日も早く、学びをとり戻せるように、全専各連と兵専各役員を中心に全会員が奔走し、その結果、文部省の審議官と兵庫県知事との会見を実現しました。  議員連盟からの働きかけもあり、2月17日、閣議決定によって、第一条に定める学校と同様の、施設・設備の復旧費の半額補助など補正予算が、専修学校に対し、国庫より組まれることとなりました。   また、各種学校への補助は復興基金の事業として実施されることとなりました。  2004〔平成16〕年10月に発生した新潟県中越地震においても、専修学校・各種学校は被害を受けています。このときも兵庫県のときにならって行政に働きかけ、激甚法と同様の措置がとられ、公的支援が行われました。  しかし、激甚法十七条は、今も、一条校(学校教育法の第一条に定める学校)のみを対象としたままであり、改正にはいたっていません。 激甚災害に対処するための特別の財政援助等に関する法律 (私立学校施設災害復旧事業に対する補助) 第十七条    国は、激甚災害を受けた私立の学校(学校教育法(昭和二十二年法律第二十六号)第一条 に規定する学校をいう。以下同じ。)の用に供される建物等であつて政令で定めるものの災害の復旧に要する工事費及び事務費について、当該私立の学校の設置者に対し、政令で定めるところにより、予算の範囲内において、その二分の一を補助することができる。 学校教育法  第一条  この法律で、学校とは、小学校、中学校校校、高等学校、中等教育学校、大学、高等専門学校、盲学校、聾学校、養護学校及び幼稚園とする。 Data colum 就職氷河期にあっても、高い就職率を維持。 学歴よりも「能力の証明」  バブル崩壊後の1990年代、日本経済は様々な制度疲労などが表面化し、「失われた10年」と呼ばれ、さらにその後も景気低迷は続きました。  景気の動向を反映するものの一つである株価の動きを見てみると、バブル末期の1989〔平成元〕年12月、3万9000円に手が届く勢いの最高値を記録します。90年代に入ると、一気に3分の2にまで下げ、その後は2万円から1万5000円あたりを推移し、不況のトンネルの闇が続きます。  1980年代には、「ジャパン・アズ・ナンバー1」と日本型経営がもてはやされましたが、90年代になると、むしろ日本型経営の崩壊が進みます。終身雇用のしくみや、じっくりと人を育てるという企業文化、スペシャリストよりはゼネラリストを育てるという組織のあり方が影を潜めます。人材の流動化も活発になり、即戦力となるスペシャリストへの採用ニーズが高まっていきます。  就職を控えてリクルートスーツに身を固めた学生たちは、足を棒にし、靴の底を減らし、会社訪問のアポイントにテレホンカードを何枚使っても(当時は、公衆電話がまだ、よく使われていた)、なかなか内定が取れず、「就職氷河期」あるいは「超氷河期」といわれていました。  そうした厳しい時代にありながらも、高い就職率を維持してきたのが、専門学校です。  不況の長いトンネルの中にあって、雇う側にはじっくりと人を育てる余力はなく、採用する際にとって重要なファクターとなったのは、「どこの学校を卒業したか、よりも、何ができるのか」である、ということをデータは如実に示しているといえるでしょう。  いわば能力の証明書といえる「専門士」の称号は、そんな時代のニーズもあって、制度化されました。 event 専修学校制度20周年記念講演・シンポジウム 「これからの日本の高等教育」「21世紀の専修学校を考える」をテーマに 専修学校の生涯学習への 取り組みに期待  専修学校制度20周年記念式典の翌日、7月6日には、記念講演とシンポジウムが行われました。  日本経営者団体連盟副会長などを務める諸井虔秩父小野田株式会社会長が「これからの日本の高等教育」について講演。専修学校の効率的な実学教育は、企業が求める実際に役立つ人材を育てていることを述べ、年功序列や終身雇用システムが崩れていく中で、専修学校の生涯学習への取り組みに期待を寄せました。 人格と技術に優れた職業人を育てるのが専修学校の使命  パネルディスカッションは「21世紀の専修学校を考える」をテーマに進められました。  私学振興の立場から戸田修三氏は「大学・短期大学と専門学校は、役割分担を明確にしたうえで、相互に協力する動きが出てきた。専門学校はアイデンティティを確立しながら、高度化、個性化の実現を」と指摘。  ジャーナリストの永井順國氏は「生涯学習社会が成熟すれば、学歴の効用は相対的に下がる。専門学校は生涯学習ニーズを掘り起こすとともに、自己改革を」とコメント。  企業の人材開発の専門家である小野紘昭氏は「企業は実力主義的な人事制度に移行し、企業人は自分自身で専門能力を磨かなければならない。専門学校の教育は、これと合致していくはず」とエールを送りました。  これらを受けて、大森厚会長は「職業教育と専修学校のあり方を問い、改革と前進を図る。人格と技術との両方が優れた職業人を育てていくのが我々の使命」と決意を述べました。 Opinion colum 激甚災害に対処するために 社団法人兵庫県専修学校 各種学校連合会会長 全国専修学校各種学校総連合会 激甚法対応専門委員会委員長 稲葉 豊  阪神・淡路大震災で専修学校、各種学校は甚大な被害を受け、1日も早い復旧のため、それぞれの学校の方々の大変な骨折りがありました。何よりも、授業をしたくてもできないという強いいらだち。それは、どの先生もが共通して抱いたものでした。専修学校は「激甚災害に対処するための特別の財政援助等に関する法律」(激甚法)の対象になっていない故の苦労があったのです。  阪神・淡路大震災では、復旧が急がれる中、激甚法の改正はできないので恒久的な対策ではありませんでしたが、法律に特別の解釈をすることで予算措置がとられ、学校法人立の専修学校に対しては一条校と同様に助成を受けることができました。また、その他の学校群に対しても、兵庫県をはじめとする被災自治体による震災復興基金を活用した対策をとっていただいたのです。  阪神・淡路大震災から10年が過ぎようとした平成16年の秋、新潟県中越地震が発生しました。阪神・淡路大震災と同様の対策がとられましたが、激甚法自体は何も変わっていません。  従来から、地震の専門家からは、東海地震、南海地震、東南海地震など発生の可能性が高いと指摘されています。 全専各連では、激甚法対応専門委員会を設置し、激甚法が専修学校等に正式に適用されるように、激甚法第十七条に「専修学校等」が加えられるように、関係各機関に働きかけをしています。  ある日突然、地震に襲いかかられる前に、激甚法改正という備えを、今すぐにでも実現しなければなりません。 46-47p 1996 平成8年 進む少子化、教育の高度化 18歳人口の急減期を迎え、将来に向けたあり方をさぐる 日本の少子化がすさまじいスピードで進み、18歳人口は1992〔平成4〕年にピークを迎えて以降減り続け、高等学校卒業者を受け入れる高等教育機関は、生き残りをかけた競争の時代に突入しました。 専修学校は危機感をばねに、教育の質を上げる高度化に取り組むとともに、18歳人口に留まらない職業人の再教育など、生涯学習の普及を進めていきました。 変化する社会の新たな人材需要に応える教育機関に  日本の人口ピラミッドは、1950〔昭和25〕年時点では、裾野の広がった三角形で、ピラミッドと呼ぶに相応しい形をしていました。しかし、少子高齢化が進み、もはやピラミッドとはいえない不安定な姿へと変貌していきました。  18歳人口がピークを迎えたのは1992〔平成4〕年、約205万人でした。ここから下降を始め、その後、回復することなく減り続けています。  ピーク時に比べ、「入学者数が減った」と、約50%の専門学校が答えた1996〔平成8〕年の調査結果があります。  この調査とは、『専門学校における教育改善と18歳人口急減期への対応に関する調査研究』(研究代表者・倉内史郎東洋大学文学部教授)で、教育分野の研究者が文部省の科学研究費補助を受け、1995〔平成7〕年度から1997〔平成9〕年度にかけて行ったものです。  専門学校が厳しい経営環境に直面する中で、その将来像を描き出そうというのが、その目的でした。調査は、「専門学校自身が描く将来像」と、「高等学校の進学指導の視点」と「企業からの期待」についてのニーズをもとに、新たな道を探るという趣旨で、進められていきました。  3年間の調査研究から浮かび上がった専門学校の将来像とは、社会の変化に伴う新たな人材需要に応える高等教育機関となること。そして産業界との連携を深めながら、豊かな人間性の育成に努めていくという姿でした。  すなわちそれは、18歳入学者に限定するのではなく、人の生涯にわたって、あらゆるステージで教育を提供していく生涯学習をめざしたものです。 高度化への取り組み―― 利用者のニーズを反映して知識・技術を習得、選択科目も個性を生かして  1996〔平成8〕年6月28日、厚生省の理容師・美容師養成制度見直し検討会は、カリキュラムを、より利用者のニーズを取り入れた実践的教育と、理容師・美容師の個性を生かす多様な選択科目を設けた内容に改める報告をまとめました。  これは、前年の1995〔平成7〕年6月に改正された理容師法と美容師法に基づくもので、半世紀ぶりの見直しとなりました。従来の制度は、修業年限1年で1200時間、理容師・美容師の受験資格は中学校校卒業以上で、免許を与えるのは都道府県知事でした。  しかし、制度は、50年の間に時代のニーズと大きく乖離していました。理・美容のめざましい技術革新、消費者の持つ豊富な情報、求められる顧客満足。これらに対応する十分なサービスを提供し、店舗経営を成功させるための知識・技術を学び、さらに業界から求められる人間教育を行うには、1年間の修業ではとても足りません。  また、顧客ニーズが多様化するにつれてサービスも多彩となりました。それに応じて提供する技術者においても、それぞれ得意とする分野が分かれていったのです。  改正後は、修業年限を2年間とし、2000時間とゆとりをもたせ、受験資格は高等学校卒業以上、インターン制度は廃止し、免許は厚生大臣が与えることになり、理容師・美容師の資質向上への措置がとられたのです。  これにともなって見直されたカリキュラムは、従来の衛生面を重視した内容を改め、理・美容文化、技術理論などの専門知識や英会話、情報技術などの教養を身につけ、エステティックなど、時代に即した技術の習得ができる選択必修科目を充実させるなどの高度化が図られ、1998〔平成10〕年度からスタートしました。 高度化への取り組み――豊かな感性を、ゆとりある学びから  また、調理師養成課程は、「1200時間以上」でしたが、「960時間以上(32単位)」へ変更する最終報告が、1996〔平成8〕年11月、厚生省の調理師養成制度検討会(座長・細谷憲政東京大学名誉教授)より出されました。  食のニーズが高度化、多様化する中、検討会は、21世紀に期待される調理師像を、調理の専門知識・技能、高度な衛生管理、豊かな感性と美的感覚とし、その実現のために、養成施設が独自のカリキュラムを打ち出せるように見直しを図りました。また、2年制への移行を奨励しました。 高度化への取り組み―― インターネット時代に対応して協会を発足  もちろん、他の分野においても、それぞれの学校でのレベルアップの努力は、制度の改正を待つまでもなく続けられてきました。  例えば、技術が急速に進歩を遂げる情報分野。前年の1995〔平成7〕年はマルチメディア元年ともいわれ、コンピュータによる視覚的あるいは音声を取り込んだ表現やシステムに注目が集まりました。そして11月にはウィンドウズ95が発売され、それをきっかけにパソコンとインターネットの大ブームが巻き起こったのです。  同じ月、財団法人専修学校教育振興会・情報教育協会は、情報系の専門学校をつなぐ専門学校インターネットサーバーを立ち上げました。  その後、社会におけるインターネットの普及はめざましく、情報系にとどまらない、様々な分野の専修学校によって、映像や音声などを取り込んだマルチメディア教材の導入が進んでいきます。  情報系の学校ではメディアとアートを一体化、語学系の学校では発音の練習にマルチメディアを取り入れ、服飾系の学校ではファッションの広告制作に画像処理を活用するなど、様々な分野で導入が図られました。 カリキュラムや指導方法の開発、 先駆的な教育のグループ研究を支援する教育高度化開発研究事業  教育の質の充実を側面から支援してきたのが、1988〔昭和63〕年から始まった文部省委託による専修学校職業教育高度化開発研究事業です。  個々の学校によるカリキュラムや指導方法の開発、あるいは先駆的な教育を実践している学校によるグループでの研究など、工業、農業、衛生、商業実務、服飾・家政、文化・教養、情報の各分野で取り組まれてきました。1995〔平成7〕年度は様々な学校で、マルチメディア教育関連がテーマに取り上げられました。  1997〔平成9〕年4月、情報教育協会は、財団法人専修学校教育振興会から独立して全国専門学校情報教育協会と改称し、全国専修学校各種学校総連合会(全専各連)の分野別専門部会となります。教員の研修に力を入れるとともに、教育カリキュラムの分析などを行い、情報を活用した専門学校の教育のありかたを追求していきます。  1998〔平成10〕年11月には、全国専門学校情報教育協会によるマルチメディア教育教材発表会が東京で開催されました。これは、情報教育を行っている会員校に対して、賛助会員となっている企業が開発したマルチメディア教材、遠隔教育のツール、各種機器など、教育関連商品を紹介するとともに、産学の情報交換の機会としても有意義に活用されました。後に専修学校フォーラムと改称し、今日でも多くの専修学校関係者の参加を得ています。  こうした各種の取り組みを通じて、各分野で教育内容の研鑽が積まれていきます。 47p 高等学校、企業が描く専門学校像とは 資格取得、即戦力などを評価  『専門学校における教育改善と18歳人口急減期への対応に関する調査研究』では、高等学校500校、企業2000社、専門学校660校を対象に調査をしています。  高校生は、進路に専門学校を選ぶ理由として、「希望する資格の取得に有利」「希望する職種につくのに有利」などを上位に挙げています。  高等学校の進路指導担当の先生方は、この2つを上位に置くほか、「実践的な教育が本人に向いている」という適性を重視しています。  企業からの期待を、採用理由にみると、「実践的専門知識」「即戦力」を上位に挙げています。  一方、専門学校自身が重視しているものは、「実践的な専門知識・技術の教育」「仕事に必要な資格・免許の取得」「職業意識・社会人になるための教育」の順でした。  また、企業、高等学校、専門学校自身が何を専門学校生の良い点、弱い点としているかについても調査しました。  「実践的専門知識・技術」はいずれももっとも高く評価しています。「仕事に必要な資格や免許」については、専門学校や高等学校ほどには企業は評価が高くないことが明らかになりました。  弱い点は、「一般常識や教養」を挙げる専門学校の比率が企業や高等学校に比べて高くなっています。一方、「基礎的な学力」については、専門学校が考えるほどには企業は弱点と考えていないことも示されました。 データ出典:『専門学校における教育改善と18歳人口急減期への対応に関する調査研究』1998〔平成10〕年3月発行より opinion column 高度化、時代のニーズに応えて 国際理容美容専門学校校長 中村文雄  かつて、理・美容師になるには、専門学校で1年間学び、さらに1年間、理・美容室でインターンをしてから資格試験を受けるというしくみになっていました。  しかし、年々、理・美容室の技術は変化し、それに対して専門学校の教育内容は旧態依然でした。1年間の学びでは、厚生省で決められたことをこなすだけで精一杯だったのです。  そこで、履修の年限を増やし、2年制を設ける決意をしたのです。当時、厚生省は、「法律では1年となっているから受け入れられない」との姿勢を示しましたが、私は「いや、1年以上となっているので2年も可能なはずです」と訴え、認められたのです。  最初、2年制に踏み切ったのは私が校長を務める学校だけでした。というのは、現状の定員の枠内でしか認められませんから、今まで100人定員であれば、1年制と2年制それぞれ50人定員となり、2年制の初年度の募集はその半数の25人としなければならず、経営的にはマイナスだったのです。  若者たちは2年制を、当然そうあるべきとして受け入れてくれました。専門士になるには2年学ばなければならないことを、彼らも知っていましたから。そうして制度改革により他校も次々と、これに続きました。  2年制の開始とともに取り組んだのは、教員の研修です。外部講師にも依頼して、指導技術や教育心理、マネージメントなど、月に2〜3回行い、教員のレベルアップと意識改革を図りました。  理容、美容の世界は、人々の美意識の変化や、技術の進歩など変化が激しいです。そうした中で、つねに高度化への意識を持つことが重要であると考えています。 50-51p 1997 平成9年 産業構造の転換に対応し、社会人にリカレント教育を 生涯を通じた学び、職業人のための能力強化の再教育をきりひらく バブルが崩壊して数年が過ぎても、日本経済は回復の兆しもありません。不況の長いトンネルは出口が見えないまま、リストラの嵐が吹き荒れ、失業率は上がり続けます。 そうした事態の打開に向けて、時代が注目したのが専修学校でした。専門性を高め、新たな活路を見出す教育機関として、社会人からの期待が集まったのです。 「工場等制限法」の運用が緩和され、首都圏、近畿圏での校舎の新増設が可能に  1997〔平成9〕年3月、「工場等制限法」運用緩和の通達が、国土庁から首都圏と近畿圏の自治体に出されました。  この法律は、人や産業の都市への集中を防止することを目的として、高度成長期真っ只中の1959〔昭和34〕年にまず首都圏で、次いで1964〔昭和39〕年に近畿圏を対象に制定されたものです。工場や大学など人口増加につながるものの新増設を制限。1000_以上の専修学校などは、新設や増設が制限されていました。  ところが、時代は大きく変わりました。 産業構造は、製造業からサービス業へと転換し、さらに製造業は、円高と国際化によって、生産拠点を海外に移すなど、工場の新増設を制限する理由が薄らいできたのです。  教育をめぐる環境も政策も変化を遂げました。経済の国際競争が激化するにつれ、職業人が知識をブラッシュアップするための場として、都市圏にこそ生涯学習機関が必要とされるようになってきたのです。  運用緩和の対象となったのは、東京都、埼玉県、横浜市、川崎市、大阪府、兵庫県、京都市、大阪市、神戸市の4都府県と5つの政令指定都市です。  これにともなって、文部省は各都道府県の専修学校を担当する部局に通知を出しました。  今後は、次のような場合については、新設・増設を認めるという方針を示しました。 @カリキュラムの多様化など、教育環境の改善の促進。 収容定員を増やすのではなく、カリキュラムの改善や学部などの改組にともなって授業科目を増やしたり、科目ごとの受講者数を少人数にするなどによって、教室を新設したり、増やす場合。 A社会人の生涯教育の要請への対応。 社会人の受け入れによって定員を増やすことで、教室の新増設が必要になる場合。 B日本の経済社会の国際化への対応。 留学生や帰国生徒を受け入れることによって定員を増やすことで、教室の新増設が必要になる場合。 C地域のニーズへ対応した特定分野の計画的な人材の養成の促進。 看護職員や医療技術者などの計画的な人材養成を進めるための新設や増設を行う場合。 D地域に開かれた大学などの実現。 文化セミナーなどの公開講座のための専用施設は、制限対象施設とせず、設置することができる。 大学の都心回帰、競争の激化  これらの方針が掲げるように、この運用緩和は、専修学校にとって、カリキュラムの改善、学科などの改組、新たな教育機器の導入、社会人や専門学校での留学生の受け入れ、昼間に加えて夜間の教育の設置、医療技術者などの人材育成など、新たな道を開く可能性を示しています。  社会人が勤め帰りに立ち寄りやすい再教育の場を提供することで、日本の産業の人材育成の拠点となっていく。そうした役割が、あらためて求められたといえます。  とはいえ、この運用緩和は、郊外にキャンパスを移転していた大学の都心回帰を促しました。それは、交通の便のよい場所に立地する教育機関である専修学校にとって新たな競争の始まりとなったのです。  その後、工場等制限法は、2002〔平成14〕年に廃止となりました。 高い失業率と景気低迷に、専修学校による職業人への再教育  長引く不況の中、職種転換や能力アップの必要に迫られる人が増えてきました。そこで、社会人対象の新たな教育が求められるようになり、そのための教育プログラムの開発が急務となってきました。  文部省によって、専修学校と企業、学識経験者などで構成する専修学校職業人再教育推進協議会(会長・井戸和男天理大学教授)が、1995〔平成7〕年度に立ち上げられ、1999〔平成11〕年度まで、職業人の再教育に関するニーズなどの情報収集、そして学習プログラムの研究と学習コースの開発が行われました。  不況にありながら、社会は変化のスピードを緩めることはありません。  例えば、経済の国際化の進展は、国際会計基準に基づいて国内の会計基準を改訂することを求めました。また、規制緩和は流通業界に「価格破壊」を巻き起こしました。これらの動きは新規参入や起業の意欲を引き出し、競争による活性化の効果をもたらしていきました。  そうした流れにあって、現在職業についている人々が知識や技術をレベルアップさせる、社会人の再教育(リカレント教育)を行う教育機関として、専修学校への期待が高まってきました。  かつてなら、日本企業は自前で社員教育をしてきたのですが、もはやそんな余裕はなくなっていました。また、社員にとっても、自ら能力を高めなければ、自分のポストは危ういと危機意識を抱えるようになっていたのです。 専修学校各分野の試み、多くを学ぶ  専修学校職業人再教育推進協議会は、工業、農業、社会福祉、経理、服飾、語学・観光、情報と分野ごとに7つの専門部会を設けました。  各部会は、現場の学習ニーズを調査したうえでプログラム、テキストを作り、カリキュラムを開発。有料(3000円〜3万円程度)で講座を開設して、ダイレクトメールなどで宣伝し、受講生を集めるという試みを実施しました。  経理、情報部門は、従来から社会人を対象とする講座を実践し、オーダーメード型の教育などを展開してきたところもありましたが、そうした経験をあまり持たず、18歳学生を中心としてきた学校にとっては新たな挑戦となり、実践を通して多くを学びました。  主な講座、評価、教訓   (報告書より要点のまとめ) ●工業● 「機械技術者のための電気・電子――かしこい機械のためのやさしい制御技術」  工業技術は細分化されているため、受講生数の確保には基本的な内容とする必要がある。難解な理論を切り離し、理解しやすくした。受講者は「独学に向けて壁が取り払われた」と評価。 ●農業● 「新・植木職・ガーデナー研修セミナー」 「園芸ビジネス要員研修会」  切花中心だったフローリストショップにガーデン園芸のニーズが高まっている。経営者も再教育の必要性を認識するが、中小店舗は資金面で困難。専修学校が教育を提供するニーズは高い。 ●社会福祉● 「福祉経営者講座」  介護保険制度導入を目前に、再教育のニーズは高いが、現場の職員にとっては、受講時間の確保は容易でない。マネジメントを扱った経営者向けの講座は成果を残した。今後、会計講座や、卒業生の再教育に取り組むべき。 ●服飾● 「ファッションアドバイザー リカレントカレッジ」  多様なニーズ、レベル差に対応しうるノウハウが教える側に求められ、受講者の要求も高く、提供する側に意識の切り替えが必要。企業人に受講を働きかけるには業界団体との連携が肝要。 ●観光● 「ホテルマネージメントシミュレーション講座」  コンピュータによる擬似ホテル経営体験は、参加者の職域経験に差異があったが、チームで取り組んだので成果を上げた。車いす利用者が参加できる小旅行を企画するプログラムも好評を博した。 学歴社会から生涯学習へ。 学びの成果を生かすための方策を模索  「人々が、生涯のいつでも、自由に学習の機会を選択して学ぶことができ、その成果が社会において適切に評価されるような生涯学習社会」  生涯学習社会の定義を、第1期生涯学習審議会の答申「今後の社会の動向に対応した生涯学習の振興方策について」(1992〔平成4〕年7月)はこのように示しています。  そして、文部省の教育白書『我が国の文教施策』(1996〔平成8〕年度)は、「各専門学校が、その自由で弾力的な制度の特色を生かし高度化、複雑化する社会のニーズに的確に対応して生涯学習社会の中で積極的な役割を果たすことが期待される」としています。  従来のように「学ぶ年齢」と「働く年齢」を分けるのではなく、生涯にわたって学びたいときに学ぶことのできる社会の担い手として、専修学校が各地で様々な試みを始めました。  北海道、神奈川県、三重県などをはじめ、それぞれ地域の特色を生かし、地方自治体、公民館、高等学校などと連携したり、専修学校・各種学校同士が連携したりして、多彩な学習内容、多様な学習の機会を人々に提供しています。  こうした試みでは、「認定証」「パスポート」の発行や、「単位互換」などの工夫をし、学習意欲を喚起するとともに、学習したことの証を提示するアイデアが盛り込まれています。  生涯学習審議会においても、機会の充実の議論に続けて、成果についての審議へと進められていきました。  1996〔平成8〕年4月、第3期生涯学習審議会は、「地域における生涯学習機会の充実方策について」(答申)をまとめた後、翌1997〔平成9〕年3月、「生涯学習の成果を生かすための方策について」の審議の概要をまとめています。  学習成果を生かす場面として、「地域社会の発展」「ボランティア活動」「個人のキャリア開発」が挙げられました。  その中でキャリア開発については、公的職業資格や技能審査等の改善と活用の促進が打ち出され、次のような提言が行われました。 @公的職業資格の受験要件が学歴偏重になっていないかの見直し。とくに専門学校卒業者が短期大学卒業者に相当する取扱いを受けるよう改善を図ること。 A大学、短期大学などで民間の審査・認定制度も単位認定できる途を開くこと。 B専修学校では、文部省認定技能審査の合格に関する学修は、科目の履修とみなすことができるように制度化を検討すること。  同年6月には、第4期の審議会が発足。成果について、継続して審議されていきました。 ビジネス能力検定(B検)が、文部省認定試験に  財団法人専修学校教育振興会が実施するビジネス能力検定(B検)は、今日のビジネス社会が必要としている能力を、どのくらい備えているのかを客観的に評価する試験です。  第1回試験が1995〔平成7〕年2月から始まり、その後、文部省の技能審査として認められ、1997〔平成9〕年2月23日に行われた第5回試験が、「第1回文部省認定」となり、約2万9000人が受験しました。 ビジネス界の人材開発のプロと教育界の専門家が連携し、実践的な試験問題に  試験の内容は、社会人としてのビジネス知識や常識など知識を問うものとともに、ビジネス社会で、個々の場面でどう行動すべきかを問うもので、ビジネス界の第一線で活躍する人材開発の専門家と教育界の専門家が問題を作成している点が、B検の大きな特色です。  検定は3級、2級、1級と設けられています。  3級は、これから社会人となる人、あるいは新入社員を対象に、仕事の基本、文書能力、対人関係処理能力などを問います。  2級は、中堅幹部をめざす人向けで、効率的な業務の進め方、様々なメディアを使った情報収集の仕方、報告書のまとめ方などを試します。  1級は、リーダーをめざす人向け。問題解決、企画提案、企業分析、マネジメントなど、高度な能力を問います。  実践的現場型の能力を問うB検は、まさに専門学校と企業の連携によって実現したものといえます。「学校での学び」と「企業の社員教育」のスムーズな接続ということもできます。2005〔平成17〕年までに、すでに約61万人が出願、37万人余りが合格しており、社会の高い評価を得ています。 情報処理活用能力検定(J検)  情報処理活用能力検定(J検)もまた財団法人専修学校教育振興会が実施している技能審査です。日常生活や職業生活で必要なITスキルを評価するもので、前身の情報処理能力認定試験は1988〔昭和63〕年から始まり、10回行われました。  1994〔平成6〕年6月、情報処理活用能力検定となって文部省認定として第1回を実施。2005〔平成17〕年までに延べ出願者数は73万人を超え、約34万人が合格し、社会で活躍しています。  J検は学校や企業での情報教育を想定した内容となっているのが、大きな特徴です。専門学校、高等学校、大学、短期大学、企業などの情報教育の専門家によって、教育的な観点から、ぜひ身につけたい知識や技術を題材に試験問題が作られています。  検定は、3級から1級まであり、次のように受験者層を想定しています。 3級:パソコンを操作・活用する基礎知識と技能、および情報社会に主体的に関わる姿勢などを評価。 準2級:ネットワーク化されたオフィスで、情報機器の操作・活用の基礎的知識と技能、そして円滑に業務を遂行するためのコミュニケーション能力などを評価。 2級:エンドユーザーのコンピュータ化を推進するための専門的な知識と技術、およびエンドユーザーが円滑に業務を遂行するためのコミュニケーション能力などを評価。 1級:統合された情報システムについての体系的な知識と技術、およびシステム構築のための分析と設計、ソフトウェア開発などの総合的な能力を評価。  なお、J検合格によって入学優遇措置を講じている大学、短期大学があり、また、単位認定を行う高等学校、大学、短期大学、専門学校もあります。  さらに、新人の採用や人事考課の基準として採用している企業も出てきました。 51p data column 若年層の失業、中年の不安 強く求められた、職業人の再教育  1997〔平成9〕年は、都市銀行や大手証券会社が経営破たんするなど、金融機関の大型倒産が相次ぎました。消費税が3%から5%に引き上げられたことも、景気回復の足を引っ張ったといわれます。また、アジア通貨危機も起こり、アジアに投資している企業にとっては、痛手となりました。  完全失業率は、この年まで3%台でしたが、翌年には4%台に突入。その後、2001〔平成13〕年には5%にまで上昇しました。  完全失業率とは、完全失業者を労働力人口で割った値です。完全失業者とは、現在は職に就いていないが、仕事を探している人のこと。労働力人口とは、15歳以上で、仕事に就いている人と失業している人の合計です。  15〜24歳の若年層の比率が高くなっています。その原因の一つは、多くの企業が、景気が後退すると新規学卒者の採用を控えることで、労働需要の縮小に対応しようとしたためです。同時に、豊かな時代となって、若年者の勤労意識の低下も一因となっているのでしょう。  一方、中年男性の、職を失うことへの不安も高まりました。これまで日本企業は「終身雇用」といわれる長期雇用の制度を採用し、働く場の安定を図ってきましたが、バブルの崩壊が日本特有の制度すら変えたのです。  リストラなどによって失業者が増える中、職業上のストレスを感じている人は増加していきます。  労働者健康状況白書(労働省)によれば、「仕事や職業生活での強い不安、悩み、ストレスがある」と答えた人は、バブルが崩壊してすぐ後の1992〔平成4〕年には57・3%でしたが、1997〔平成9〕年には62・8%に増えています。男性では、30歳代と50歳代がともに約65%であるのに対して、40歳代男性は69%と比率が高くなっています。  また、1998〔平成10〕年の国民生活白書(経済企画庁)は、中高年層ほど賃金に対しての貢献度が低いことを指摘しており、プレッシャーも高まっていることがうかがえます。  このようなことからも、職業人の再教育が強く求められたのでした。 53p data column 3万円までならOK 自己啓発への強いニーズ  専修学校職業人再教育講座の受講者に行ったアンケートから明らかになったのは、自己啓発の強いニーズがあるということでした。自己啓発への支出は「増やしたい」が40%以上、「現状維持」も半数以上。年間で負担できるのは平均で9万2000円、1講座当たり平均3万1000円という姿が浮かび上がりました。  重視することについては、「今」あるいは「将来」「仕事に役立つ」「昇進・昇格」など直接的な目的だけでなく、「自己啓発の目標になる」ことです。。  また、転職や独立を視野に入れた準備も怠りなく、という思いがうかがえます。  教育訓練を受ける方法として最も支持されているのは専門学校(専修学校専門課程)です。と同時に、公的機関によるもの、勤務先の社内で行われるものにも期待が高いことが分かります。  そこで、これらとの比較優位を図りながら、これらにないものを提供していくことが専修学校としてのあり方であるということ、あるいは、これらとの連携を進めることが求められたのでした。 56-59p 1998 平成10年 大学編入学の実現。制度的袋小路の解消 学歴社会から生涯学習社会へのうねり 1998〔平成10〕年6月、学校教育法が一部改正され、専門学校(専修学校専門課程)から大学への編入学が認められるようになりました。 日本の学校の進学のしくみは、小学校・中学校・高等学校から大学へという、単一的な路線が一般的でしたが、生涯学習社会に向けたうねりとともに、専門学校への進学率も年々高くなり、高等学校卒業後の進路の選択肢が増え、実質的にいわば複線的な教育体系へ移行していったのです。  専門学校と大学、短期大学は、いずれも高等学校の卒業者を対象としている高等教育機関です。  ところが、短期大学で2年間学んだ後、大学に入る場合は、3年次からの編入学が認められ、専門学校で2年の課程を修了して大学に入る場合は、編入学は認められず、1年次から始めなければなりませんでした。  学校教育法第一条に定める学校(一条校)の進学のしくみに、専門学校は組み込まれていなかったのです。  しかし、日本が国の方向として生涯学習社会をめざす中で、状況は大きく変わりました。  人の学びが生涯にわたり、学びたいときに学び、その成果が適切に評価されるべき、という考え方が国によって打ち出されるようになり、そうなると旧来の一条校の枠では、もはや対応できなくなったのです。職業教育、生涯学習の担い手である専修学校での専門的かつ多様な学びを包括する新たな枠組みが求められてきたのです。  また、専門学校においては、習得される知識、技術や技能の高度化が進んでいました。専修学校制度が施行された1976〔昭和51〕年当時は、ほとんどが1年制でしたが、それから20年以上が経過して、2年制が9割を占め、さらに3年制、4年制も増えるなど、教育レベルが大きく向上したのです。  こうして、学校教育法が改正され、修業年限2年以上、総授業時数1700時間以上の専門学校卒業者に大学編入学の道が開かれました。併せて、短期大学と高等専門学校の専攻科への入学資格が付与されました。 10年におよぶ実現への道のり  大学編入学について、全国専修学校各種学校総連合会(全専各連)が初めて表立って提言したのは1985〔昭和60〕年の文部省臨時教育審議会全体会議での大沼淳会長の意見陳述においてです。  その後、全専各連の制度検討委員会最終報告(1987〔昭和62〕年)が編入学について言及しています。そこから長い働きかけが始まり、その実現の糸口が見えたのは10年目を迎えた1996〔平成8〕年のことです。文部省の第3期生涯学習審議会(会長・伊藤正己前日本育英会会長)は「地域における生涯学習機会の充実方策について」と題する答申の中で「専門学校から大学への編入学についても、そのために必要となる要件などを含めて制度的な検討を進める必要がある」と示しました。  全専各連の会員で構成する全国学校法人立専門学校協会は、1997〔平成9〕年1月29日、国会議員170名とともに振興大会を開き、編入学早期実現の決議を採択しました。  文部省の中央教育審議会(有馬朗人会長)は「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」の第2次答申をまとめるにあたって、教育団体の意見を求めるとして、審議のまとめ(その2)を5月30日に公表。これを受けて、全専各連は6月12日、日本の将来を担う子どもたちの「生きる力」を育むため、「職業教育」の観点から支援策や環境整備を論ずることが大切であると提言するとともに、専門学校卒業者の大学への編入学の早期実現を訴えました。さらに、6月17日、自由民主党の国会議員の有志で構成する専修学校等振興議員連盟の総会で要望書を提出するなど、積極的に働きかけをしていきました。  6月26日には中央教育審議会の第2次答申が出されましたが、専門学校卒業者の大学編入学については触れられていませんでした。   そして9月30日、文部省の大学審議会(会長・石川忠雄慶応義塾大学名誉教授)は総会において、「修業年限2年以上、総授業時数1700時間以上の専門学校卒業者に大学等への編入学を認めることが適当」との大学教育部会の提言を報告。この提言を盛り込んだ答申が町村信孝文部大臣に提出されました。  答申を受けて、文部省の生涯学習局専修学校教育振興室と高等教育局専門教育課などによる条文改正作業が始まりました。  1998〔平成10〕年3月10日、政府は、「学校教育法等の一部を改正する法律案」を閣議決定し、国会に提出。6月5日、学校教育法の一部が改正されました。文部省は省令を改正し、翌1999〔平成11〕年4月1日、大学側の受け入れが開始されました。 画一的な教育から、柔軟で多様な選択肢のある教育が必要とされる時代に  大学編入学への動きが、急速に進展した背景には、橋本内閣が掲げる6つの改革の一つ「教育改革プログラム」があります。文部省が1997〔平成9〕年8月5日に発表した改訂版は、「速やかに結論を得る」と促しました。  また、その中では、教育制度を弾力化させることも謳っています。  大学に通いながら専門学校でも学ぶというようなダブルスクールをする学生が増えている現状があり、これに対応した取り組みも盛り込まれました。  例えば、専門学校に入学する以前に大学で履修した単位を、入学した専門学校の授業科目の履修とみなすことができるように関係省令を改正し、専門学校と大学・短期大学とで相互に学修を認定する仕組みを拡充すること。また、専門学校と放送大学など大学・短期大学との連携を深め、相互に学修の認定を促進することも盛り込まれました。  さらに、総理府の行政改革委員会の規制緩和小委員会(座長・宮内義彦オリックス社長)が発足しました。  同小委員会が12月4日に発表した最終報告書は、画一的な教育の問題を指摘。学習の選択の多様化・柔軟化の必要を訴え、専門学校卒業者の大学編入を認めるよう提言しました。 「どこの学校を出たかを問わない」 大手企業の採用の動き  規制緩和小委員会が描く教育からは、経済のグローバル化が急速に進展する中で、メガコンペティション(大競争)時代を勝ち抜く人材像が浮かび上がります。  社団法人経済団体連合会(現・社団法人日本経済団体連合会)は、1998〔平成10〕年4月21日、「変わる企業の採用行動と人事システム」を発表。求めているのは「既存の概念を超えて、新しい価値を創造できる人材」。そうした人材を確保するため、採用は「学校名不問」としたり、通年あるいは秋期採用を取り入れたりなど、企業は、従来とは大きく異なる採用方法に踏み切っていったのです。 労働省による民業圧迫に、専修学校が強く反対  さて、90年代が終わりにさしかかっても不況から脱することなく、18歳人口の減少とのダブルパンチの下、専修学校は学生確保に苦心していました。そこに、労働省職業能力開発施設と専修学校との競合という新たな問題が生じたのです。  「職業能力開発促進法及び雇用促進事業団法の一部を改正する法律」が1997〔平成9〕年4月28日に成立し、雇用促進事業団(現・独立行政法人雇用・能力開発機構)は職業能力開発短期大学校の拡大強化に動き出しました。  短期大学校は雇用保険を原資とする人材育成機関です。  再雇用のために技術習得をめざす中高年だけでなく、高等学校新卒者も対象に、専修学校の3分の1とも5分の1ともいわれる授業料で専修学校と競合する学科を設け、高等学校への説明会も行うなど大きな脅威となっていました。  全専各連は、この法律が成立する以前から、「公共職業能力開発施設と専修学校等の学校教育との重複は官による民業の圧迫。役割分担を明確にすべき」と主張し、文部省、労働省、議員連盟に強く働きかけ、両省との政策協議を進めてきました。  その結果、1998〔平成10〕年3月31日、両省による合意文書が出されるにいたりました。その内容は、 @学校教育との重複を避け、在職者の受け入れに努める。 A入学定員を2割程度減らす。 B設置の際は専修学校関係者と調整する  C専修学校がニーズを満たしている場合、廃止、縮小を検討する。 D学校教育と混同されないように名称などをはっきり示す。 E授業料は国立大学と均衡を図る。  その結果、5月29日には、労働省は「新規の入校割合を漸次縮減」を示しました。  全専各連は、このように、様々な問題を掲げ、取り組んできましたが、中でも粘り強く続けてきたのが、「専修学校への寄付金に関する法人税上の優遇措置の拡充」です。  1998〔平成10〕年度の税制改正で、日本私立学校振興・共済事業団を通じた寄付金について、校舎、施設などの取得に要した費用の借入金は、受配者指定寄付金として税法上の優遇措置がとられるようになりました。  しかし、教育研究に要する経常的経費については認められませんでした。 長野冬季オリンピック・パラリンピックで活躍する専修学校  1998〔平成10〕年2月に長野冬季オリンピック(第18回オリンピック冬季競技大会)が開催されました。開会に先立って、長野冬季オリンピック記念国際スポーツ科学会議(主催・JOC日本オリンピック委員会他)が専修学校を会場に開催されました。  また、地元長野県の専修学校生が、長野オリンピック委員会の要請を受けて、男子滑降、スーパー大回転で、旗門審判員(ゲートジャッジ)、スタートとゴールの計時・計算のオペレーターとして参加しました。ゲートジャッジは、選手が旗の横を正しく滑降したかを確認し、旗が倒れたら直すという仕事で、資格の取得が必要です。計時・計算のオペレーターは、他の大会などで経験を積んだ学生が担当しました。  メディア村でもフロント業務などで専修学校生がボランティアを務めました。  こうして活躍した学生たちに、財団法人長野オリンピック冬季競技大会組織委員会から感謝状が贈呈されました。  メディア村でのボランティアは、全国語学ビジネス観光教育協会による文部省委嘱の産学連携教育推進モデル事業開発委員会の事業として行われたもので、ホテルでの事前学習を経て、オリンピックに臨みました。  大会開催中、文化プログラムとして行われたファッションショーは、環境に優しい素材をテーマに、専修学校の校長がプロデュース。長野パラリンピック開会式では、専修学校出身者が進行のチーフを担当するなど、世界の檜舞台で専修学校の実力が発揮されました。 57p data column 専門学校から大学へ、大学から専門学校へ 接続をスムーズに、キャリア形成に寄与  施行の最初の年は490人が専門学校から大学へ編入学。その後、年間2300人台まで伸びています。  専門学校生が大学の科目等履修生などになって単位を履修した場合、学位授与機構(現在の独立行政法人大学評価・学位授与機構)による審査を受ければ、学位の単位を取得することも可能になりました。  一方、大学を卒業してから専門学校に入学する人も増えています。1999〔平成11年〕度は1万1068人でした。2004〔平成16〕年度は1万9439人、2005〔平成17〕年度は1万8531人と約1・7〜1・8倍に増えています。  さて、2004〔平成16〕年度の専門学校の卒業者数は約28万6000人です。2005〔平成17〕年度に専門学校から大学に編入学した数は2300人強。この数を少ないと感じる人がいるかもしれません。  しかし、本来、専門学校は職業に就くための知識、技術、技能を身につけ、社会に巣立っていくことを前提とする「完結教育」を施す機関として教育を行っている学校がほとんどです。大学への進学を主たる目的とはしていないのです。  ニーズが多様化し、それに対応する様々な学びの選択を保証し、進路を設け、出口をふさぐことなく接続をスムーズにすることが、編入学制度のめざすものです。それによって、キャリアの形成に寄与する制度なのです。 59p contest 調理師養成施設 調理技術コンクール全国大会 主催:社団法人全国調理師養成施設協会 和・洋・中の3つの部門で腕をふるう「グルメピック」  調理師養成施設に学ぶ全国の学生が年に一度、腕を競い合うのが調理師養成施設調理技術コンクール全国大会、愛称「グルメピック」です。  日本料理、西洋料理、中国料理の3部門が設けられ、1次審査を経て、2日間の大会に臨みます。規定課題には、日本料理部門であれば大根のかつらむき、など、基本技術をしっかりと試され、さらに学生のオリジナルメニューの自由課題が用意されています。学生とは思えない見事な調理技術に、一般来場者もうなります。 60-64p 1999 平成11年 学修の認定をより柔軟にし、遠隔教育の可能性を広げる 文部省、専修学校の設置基準を5年ぶり2度目の改正 ニーズに応じて柔軟に教育を提供するのが専修学校です。この特色をより強めていったのが、1999〔平成11〕年の設置基準改正です。在学している専修学校「以外の」あるいは「以前に」学んだことも「成果」として認められ、さらに「遠隔教育」の道も開かれて、専修学校の可能性が広がりました。  専修学校における教育が、多様な学習ニーズに対応し、情報通信技術(後にいわれるIT)の発展に即したものとなるよう、との文部省の第4期生涯学習審議会(会長・吉川弘之放送大学学長)の答申を受け、文部省は専修学校の設置基準の一部を改正する省令を1999〔平成11〕年10月25日に公布しました。 キャリアの開発に、 より学びの成果を活かすために  生涯学習審議会では、個々人の生涯学習の成果を、どのようにして活かしていくか、その方策について審議を進めてきました。1999〔平成11〕年6月9日の答申では、「キャリア開発」「ボランティア活動」「地域社会の発展」に活かしていくとしています。  「キャリア開発」とは、自らの職業観をつくりながら、自分がめざす方向の技術や知識、経験、学修歴や職歴などを積み上げていくこと。答申では、専修学校での学修の成果を積極的に評価していくように提言されました。  設置基準の改正は、1994〔平成6〕年以来、5年ぶりのこと。履修認定の対象となる学外の学修の範囲が大幅に広がったことが、改正のポイントです。  高等専修学校(専修学校高等課程)では他の高等専修学校の履修、専門学校(専修学校専門課程)では他の専門学校や大学、短期大学などの選択科目について、総授業時数の4分の1までとしていましたが、選択科目という制限をなくし、2分の1を超えない範囲と緩和されました。  高等専修学校では、専門学校の授業科目や高等学校などの科目の履修、大学や短期大学などでの学修、高等専修学校に相当する外国の教育施設での学習成果。 専門学校では、専門学校に相当する外国の教育施設での学習成果。そして高等専修学校、専門学校とも、認定社会通信教育、技能審査、ボランティア、インターンシップなど文部大臣が定める学修。  これらについて、在学している専修学校の学校長が水準を満たすと判断すれば、授業科目の履修とみなされることになりました。 遠隔教育が、今までの「教室」の概念を変える  マルチメディアの活用、インターネットを使った映像配信など、情報通信技術の高度化によって、教室の場所を選ばない遠隔教育の環境が整っていく中、様々な取り組みが進められていきます。  店舗などの経営に関わる様々な分野、例えば理・美容分野では、店舗経営においてパソコンの活用は不可欠のものとなり、授業にも必須のものとして取り入れられていきました。  また、ITによる遠隔教育を行う前提として、パソコンユーザーとなる学生、そして指導をする教員の精神的な面での配慮が必要なことが次第にわかってきました。全国専修学校各種学校総連合会(全専各連)の分野別部会である全国専門学校情報教育協会は、そうした問題に取り組みながら、旅行、福祉、会計、デザインなど多彩な分野の専門学校が、お互いの強み、専門性を発揮して、より高度な教育を共有できる可能性を追求していきました。こうした動きは、2000〔平成12〕年ごろからさらに積極的に進められていき、従来の教室の概念を変える遠隔教育の可能性が広がっていきました。 労働省から専修学校に、雇用創出のための委託訓練の要請  労働省は、厳しい経済情勢が続く中、緊急経済対策の下、1999〔平成11〕年度の目標の一つとして「失業者を増やさない雇用と起業の推進」を掲げ、100万人の雇用創出をめざす雇用活性化総合プランを打ち出しました(1998〔平成10〕年12月の完全失業者数は273万人)。  とりわけ、ホワイトカラーの失業問題を重視し、民間訓練機関への委託訓練の拡大を図るとして、専修学校に対して中高年者の職業訓練への協力要請が行われました。専修学校は、これを社会人の受け入れを推進する重要な施策と考えて、積極的に応えていきました。 雇用を創出する上で、大きな障害となっていたのが、中高年層の人材においての需給のミスマッチでした。不況の中でも求人自体はあったのですが、求職者の側に、求人側のニーズを満たす能力を持つ人材が不足しており、再就職を困難にしていました。  そこで、新たな職業に転換するため、あるいは今持っている能力を高めるため、45歳以上60歳未満の非自発的離職者を対象に、OA事務、経理事務、情報処理、介護、造園、調理、建築など、週5日、昼間1日6時間の講座が、3か月、6か月、1年の期間にわたって実施されました。 専修学校などの講座が指定を受け、資格取得を支援する「教育訓練給付制度」がスタート  また、資格取得など積極的に能力開発に取り組む勤労者に対して、労働大臣が指定する職業に関する教育訓練を受けて修了すれば、学費の一部が支給されるという、雇用保険を利用した新たな制度も発足しました。  これは、雇用保険法の一部改正を受けて、1998〔平成10〕年12月1日から実施された「教育訓練給付制度」で、修了すると学費の8割に相当する額(上限20万円)がハローワークから支給されるという制度です。1999〔平成11〕年10月1日時点で、全国で約8000講座が開設され、そのうちの約3割が専修学校・各種学校の講座でした。2000〔平成12〕年には、全体で約1万4800講座にも上りました。 公的職業資格試験の格差是正、公認会計士、不動産鑑定士の第1次試験免除  1999〔平成11〕年度から、専門学校の修了者は、公認会計士、不動産鑑定士の第1次試験が免除されました。  公認会計士は大蔵省、不動産鑑定士は国土庁による国家試験で、どちらも第1次から第3次まであり、難関試験として知られています。第1次試験は、公認会計士が国語、数学、外国語、論文で、不動産鑑定士は国語、数学、論文です。  受験資格の規定はありませんが、これまで、大学、短期大学、高等専門学校の卒業者は第1次試験が、免除されてきました。ところが、これらと同じ高等教育機関である専門学校の修了者には、この特典が認められていなかったのです。  これに対して、社団法人全国経理学校協会(現・社団法人全国経理教育協会)は、全国専修学校各種学校総連合会(全専各連)とともに格差是正を求め、各方面に陳情活動を行ってきました。  前年の1998〔平成10〕年には、専門学校卒業者の大学編入学が実現するなど、学校教育法の一部が改正され、併せて学校教育法施行規則の一部も改正されました。これを受けて、文部省は、大蔵省、国土庁に、一定の要件を満たした専門学校の修了者には、第1次試験の免除を認めるよう要望をしたのです。  そうして、「公認会計士法」と「不動産の鑑定評価に関する法律」で、「大学(短期大学を含む)を卒業した者と同等以上の学力があると認められた者」として取り扱われることになりました。  免除の対象となるのは、専修学校専門課程の修業年限2年以上で、課程の修了に必要な授業時数が1700時間以上という、大学編入学と等しい条件です。  専修学校制度が制定されて以降の1976〔昭和51〕年度の入学者についても、この基準を満たせば適用され、この点も大学編入学の要件と同等とされました。 社会保険労務士、税理士の受験資格が拡大される  2000〔平成12〕年12月25日には、社会保険労務士について、労働省は専門学校卒業者に受験資格を拡大することとして、関係通達を改正することを、官房長名で都道府県労働局長に通知しました。  それ以前は、大学、短期大学、高等専門学校の卒業者の他、専門学校では看護、保育等の分野の修了者に限って受験資格が与えられていました。  これに対して、「規制緩和推進3か年計画(再改定)」(2000〔平成12〕年3月31日)の中で「明確で合理的な理由のない受験資格要件の廃止」として、「一部の専門学校卒業者に限って受験資格を認めている社会保険労務士試験については、その範囲の拡大」の措置を講ずることとなり、2001〔平成13〕年度の試験から、その実施がなされました。  また、税理士試験も同様で、大学、短期大学、高等専門学校の卒業者の他、専門学校の修了者では、社団法人全国経理学校協会主催簿記能力検定試験上級、日本商工会議所主催簿記検定試験1級の合格者にのみ受験資格が与えられていました。  こうした状況に対して、やはり規制緩和3か年計画の指摘とともに、社団法人全国経理学校協会と全専各連による是正を求める働きかけなどによって、2001〔平成13〕年5月25日、税理士法が改正されました。その結果、2002〔平成14〕年度から税理士受験資格は専門学校卒業者にまで拡大されました。 土曜日・夏休み専修学校体験学習「専修学校チャイルドスクール」が全国で開かれる  完全学校週5日制が2002〔平成14〕年4月より実施されることになりました。その趣旨は、児童、生徒などの生活時間の、家庭や地域社会での比重を高め「生きる力」を育むことにあります。それに基づいて、文部省は「全国子どもプラン」(緊急3ヶ年戦略)を立てました。  これは、2001〔平成13〕年度までに地域の子どもの活動を振興し、健全育成を図る体制を整備するというもので、全国各地の専修学校が委嘱事業として、これに参加、協力。1999〔平成11〕年度から2001〔平成13〕年度までの3年間、土曜日・夏休み専修学校体験学習「専修学校チャイルドスクール」を開催しました。  1999〔平成11〕年度は、全国34都道府県の264校が実施。小中学校生や保護者などを対象に、衣食住に関すること、園芸、手作りの凧、水墨画、福祉・保育など、バラエティ豊かに340コースが開設されました。子どもたちは、専修学校ならではの職業教育や実習体験を通して、仕事に対する意識を醸成していきました。  専修学校にとっては、生涯学習の教育機関として地域との結びつきを強める機会となりました。 公的資格試験―受験資格、第1次試験の免除 ■公認会計士(第1次試験) ●受験資格:規定なし ●第1次試験の免除 (1)大学(短期大学含む)、高等専門学校卒業者、(2)大学(短期大学を除く)に2年以上在学し、44単 位以上修得した者、(3)司法試験1次試験、不動産鑑定士1次試験合格者、(4)専修学校の専門課程 (修業年限が2年以上であることその他の文部大臣が定める基準[総授業時数1,700時間以上]を 満たすものに限る)を修了した者、(5)その他 *公認会計士の試験制度は2006〔平成18〕年度より変更されます。 ■不動産鑑定士 ●受験資格:規定なし ●第1次試験の免除 大学卒業者、大学に2年以上在籍して44単位以上取得した者、短期大学、高等専門学校卒業者    *不動産鑑定士の試験制度は2006〔平成18〕年度より変更されます。 ■社会保険労務士 ●受験資格:学歴 ・学校教育法(昭和22年法律第26号)による大学、短期大学、高等専門学校を卒業した者 ・上記の大学(短期大学を除く。)において62単位以上を修得した者 ・旧高等学校令(大正7年勅令第389号)による高等学校高等科、旧大学令(大正7年勅令第388号)による大学予科又は旧専門学校令(明治36年勅令第61号)による専門学校を卒業し、又は修了した者 ・前記に掲げる学校等以外で、厚生労働大臣が認めた学校等を卒業し又は所定の課程を修了した者 ・修業年限が2年以上で、かつ、課程の修了に必要な総授業時数が1,700時間以上の専修学校の専門課程を修了した者 *受験資格には、学歴の他に職歴、その他の国家試験合格等があります。 ■税理士 ●受験資格 ・大学、短期大学の卒業者(法律学、経済学で1科目以上履修した者) ・大学3年以上の者(法律学、経済学に関する科目を含め62単位以上の取得者、法律学、経済学に関する科目を含め36単位以上(外国語、保健体育科目を除き、最低24単位の一般教育科目が必要)の取得者) ・専門士で、法律学、経済学に関し1科目以上履修した者。 ・司法試験第2次試験合格者、会計士補となる資格を有する者 ・日商簿記1級合格者、全経簿記上級合格者 ・国税審議会により受験資格に関して個別認定を受けた者 ・以下の実務に従事した期間が3年以上の者  司法書士/弁理士/社会保険労務士など業務経験者。法人等による会計事務経験者。税理士/公認会計士/弁護士等の業務補助経験者。税務官公署における事務、その他の官公署における国税、地方税に関する事務経験者。 61p data column 雇用のミスマッチ、 「何ができますか」 少ない求人、ホワイトカラー系職種  職種による需給ギャップがはっきりと現われ、最も需要(求人)の高い法人営業は供給(求職)の約10倍にも上ります。また、IT関連などの専門職でも人材不足の状態にあることがわかります。  一方、企画職、管理職など、仕事の成果や個人の能力が見えにくいホワイトカラー系の職種は、求人数は非常に少ない状態にあります。  一時期、中高年者の再雇用の相談場面で、「何ができますか」との問いに、「部長ができます」との答えが返ってくるという笑い話が取り上げられていましたが、専門性や成果を出せる能力がなければ厳しい時代になったことが、この数字に現われているといえます。 63p opinion column 公的資格試験をめぐる格差是正に向けて 全国経理教育協会副理事長 吉田学園理事長 吉田松雄  公認会計士については大蔵省に足を運び、不動産鑑定士は国土庁に、社会保険労務士は労働省、税理士試験は国税庁と、霞が関を歩き回っては、それぞれの省庁に働きかけをしていきました。  すでに1998〔平成10〕年に、専門学校卒業者の大学への編入学が認められており、もはや公的資格の試験をめぐる大学、短期大学との格差は是正されるべき措置と各省庁も概ね受け止め、話し合いは進められたのです。  国会議員による「明日の私学を考える会」の支援を受けたことも、私たちはたいへん勇気づけられました。  難航し、最後まで残されたのは税理士試験をめぐる国税庁との交渉でした。  私たちは、専門学校卒業者全体のことを考えて、格差是正の交渉をしたのですが、国税庁からは、全経には簿記検定上級試験合格者については受験資格が認められているのだから十分ではないかと想定外の話が持ち出されたのです。  大学生や短期大学生は法律学、経済学など関連する授業科目を1科目履修する程度で税理士の受験資格を与えられていました。  しかし、そうして得た受験資格は実質的にどれほどの意味を持ち、有効に使われるのでしょうか。  一方、専門学校生は、しっかりと専門知識を身につけてから試験に臨んでいるのです。すなわち、受験資格を実際の合格に結びつけるのが専門学校生です。両者の差は歴然としているといえます。この点を指摘したことで、話は前に進んでいきました。  「どこの学校を出たか、よりもどんな力をつけたのかが問われる」という、時代が求める専門学校生の強みが、決め手となったということができるでしょう。 64p data column 学校・在学者・卒業者への調査から 教育内容の向上に取り組む専修学校  文部省による「専修学校に関する実態調査」が1999〔平成11〕年6月4日に発表されました。これは1997〔平成9〕年12月1日現在の調査で、全国3546校を対象に実施し、3360校の回答を得ています。なお、今回は2回目にあたり、前回は昭和63年に実施されています。  在学者の年齢で、22〜29歳が前回の調査より3・8ポイント増えています。不況による就職難から、資格取得などキャリア開発に励む20代の人々の姿が映し出されているといえます。  学校の側もカリキュラム改革など教育内容の向上に、半数近くが取り組んでいます。一方、インターンシップへの取り組みは約半数が予定しておらず、むしろその効果への疑問、あるいは自校の授業への自信をうかがわせています。  さて、専修学校に入学するにあたっての出身校での進路指導についてみてみると、中学校卒業者を対象とする高等専修学校では、進路指導を受けた生徒が半数を超えますが、高等学校卒業者を対象とする専門学校では約6割が受けていないことがわかりました。 65-68p 2000平成12年 留学生、就学生の受け入れ環境を整備 専門学校への留学生数が、9年ぶりに大幅に増加 減少を続けていた専門学校(専修学校専門課程)への留学生が、再び増加を始めました。 日本での就職や大学への進学、そしてアルバイトできる時間など、専門学校の留学生は大学や短期大学への留学生に比べ、規制が厳しかったのですが、同様に取り扱われるようになりました。2000〔平成12〕年1月からは、入国、在留の手続きを簡略化するなど、学びやすい環境が整備されていきました。 卒業後、日本での就職が可能になって  専門学校への留学生の数は、1990〔平成2〕年は1万2574人に上りました。これをピークに、減少が始まり、1998〔平成10〕年には5656人にまで落ち込んでいきました。  その背景には、80年代に比べ90年代の日本が勢いを失う中で他の先進国と比較して魅力が薄れたこともあれば、1997〔平成9〕年にアジアを襲った通貨危機も一因となっているでしょう。  しかしそれだけでなく、専門学校への留学は、大学や短期大学と比べていくつかの点で規制が強く、そうしたことが障壁となっていました。   その一つが、卒業後は即時帰国しなければならず、日本での就職が認められていないという点でした。2000〔平成12〕年6月に新たに伊東兵次会長が就任した全国専修学校各種学校総連合会(全専各連)は専修学校等振興議員連盟の支援を受けながら、法務省に働きかけていきました。  そうした結果、1997〔平成9〕年7月22日には、法務省は、専門学校留学生が卒業後、日本で就職することについて、専門士の取得などを条件に、大学、短期大学の卒業者と同様の扱いとすることを決定しました。  このような決定を行った理由として、法務省は「平成7年1月から一定の要件を満たす専修学校専門課程の修了者に対し、『専門士』の称号を付与することとなり、専修学校の職業的実務教育機関としての位置付けが明確かつ強固になったこと、専門士の称号を付与された者については、出入国管理行政上、問題となる事案はほとんど発生していない」(「専修学校卒業生等に係る取扱いの見直しについて」)という点を挙げています。専門士の称号の社会的認知と地位が確立してきたことを示すものといえます。  こうして、「技術」「人文知識・国際業務」など就労可能な在留資格(単純労働でなく、専門性のある仕事であること)で、学んだことと携わる仕事の内容とが関連するものであることを条件に、認められるようになりました。  また、大学への進学についても、併せて規制が緩和されました。  これまでは、専門学校で学んだ内容と大学での専攻内容が関連しなければ認められませんでしたが、それは問われなくなり、学びの選択肢が広がりました。  法務省入国管理局は、留学生の資格外活動許可(アルバイト)の取り扱いについて1998〔平成10〕年9月、見直しをしました。それまで、1日4時間以内とし、夏季休業中については、大学・短期大学生は1日8時間以内、専門学校生については4時間以内という規制がありました。これを緩和して、1日4時間または週28時間以内、夏季休業中は大学と同様としました。  こうした動きの中で、専門学校留学生数は1999〔平成11〕年には9年ぶりに増加し、6916人と、前年を1260人も上回る伸びを見せました。  2000〔平成12〕年1月からは、留学生の負担軽減のため、入国、在留の手続きを簡単にするなど、学びやすい環境が整備されていきました。 韓国で、台湾で「留学フェア」を開催  社団法人東京都専修学校各種学校協会は1997〔平成9〕年、初の「専門学校留学フェア」を韓国のソウルで開催しました。翌年には、第2回をやはり韓国(ソウル、釜山)で行うとともに、台湾(高雄、台北)でも開催しました。  日本の専門学校と留学生の受け入れ態勢について、直接説明をすることで、正しく理解してもらうことをめざしました。それとともに、志望者の個々の相談にきめ細かに対応していきました。  参加者も熱心に情報の収集につとめていました。 全国からの選抜チーム、中国で親善試合  全国専門学校バレーボール連盟は、全国各地からの選抜チームを編成し、1998〔平成10〕年12月22日から、中国北京市などで「第11回日中友好青年バレーボール親善大会」を開催しました。  前年までは関東地区の選手によるチームでしたが、この年は全国に広げました。対するは、南開大学など強豪を含む地元の4大学でした。  選抜チームの成績は、男子は2勝2敗、女子は1勝3敗となりました。 労相が全専各連に協力を要請。情報通信・介護分野の人材を育成し、ミスマッチ解消をめざす  バブル崩壊から10年が過ぎ、失業率の上昇に歯止めがかかり、新卒の採用においても超氷河期を抜け出しつつある、という状況になりました。  2000〔平成12〕年4月の完全失業者は346万人、完全失業率は4・8%と前年に比べて減少の方向に向かっています。  また、同月、介護保険制度がスタートしました。12年度の総費用の見通しが4・2兆円と巨大市場が出現。それによって、労働市場では、IT(情報通信技術)関連とともに、介護福祉関連分野の急激な成長が見込まれ、大量の人材が求められる見通しが出てきました。  ところが、そうした新しい分野の需要を満たす技術、技能、知識を備えた人材は不足し、育ってはいませんでした。  そこで労働省は、前年の1999〔平成11〕年に立ち上がった委託訓練に続き、2000〔平成12〕年5月、さらに求人と求職のミスマッチの解消をめざす緊急雇用対策を発表しました。  柱となったのは、次の6つです。 @職業能力、産業間のミスマッチの解消。 A雇用機会創出支援対策の強化。 B学卒未就職者対策等の強化。 C雇用維持、非自発的失業者の対策強化。 D賃金労働条件、年齢間のミスマッチの解消。 E雇用保険制度の改革等によるセイフティ・ネットの確立。  これらを推進し、達成するために、注目された労働市場がIT関連分野や介護福祉関連分野であり、その人材育成に大きな期待が寄せられたのが職業教育の要である専修学校などで、ここで短期間に集中して職業訓練を行おうというものでした。  推進にあたって、牧野隆労働大臣は、全専各連に協力を要請しています。 全専各連は、要請に全力を挙げて応えるとの談話を発表  5月16日、牧野労働大臣が記者会見を開き、緊急雇用対策を発表。これを受けて、全専各連も、次のような談話を発表しました。  専修学校などが備えている機能を発揮し、教育訓練の一翼を担う機関としての社会的責任を果たすという観点から、あらためて労働省との間に密接な協力・実施体制を確立し、今後1年間に集中して職業訓練に全力を挙げて取り組む。また、情報通信などの訓練コースの拡充強化を図り、専門的な技術を持った人材の養成をする。  なお、労働省が示した「ミスマッチ解消を重点とする緊急雇用対策」の主な施策は、次の3点です。 @専修学校・各種学校との連携の強化、夜間コースの開設などによる情報通信などの訓練コースの拡充強化。 A短期コースの開設や複合型受講制度の創設などによる情報通信、介護関連分野の職業訓練の拡大と、働く人すべてのIT化対応の促進。 B学卒未就職者対策等の強化=学卒未就職者に対する事業主や民間教育訓練機関への委託訓練の実施。 67p Data column 委託訓練、「今後の仕事に役立ちそう」 約4万4000人が専修学校・各種学校で受講  財団法人専修学校教育振興会は、労働省の委託を受けて実施している「緊急中高年就職促進訓練」についての受講者へのアンケート調査を行い、2000〔平成12〕年に発表しました。この調査は独立行政法人雇用・能力開発機構(かつての雇用促進事業団)よりの受託です。  緊急中高年就職促進訓練は、平成11年度で、全国でおよそ6万3000人が受講しており、専修・各種学校での受講者は約4万4000人に上りました。  「再就職のため」とする受講者がもっとも多く、6割が今後の仕事に「役立ちそう」と回答しました。  また、労働省は、訓練が受講者に好評であったのをふまえ、中小企業を担う人材の育成を図るためとして、内容を大幅に改めました。名称から「中高年」をはずして、45歳以上としていたのを30歳以上に引き下げ、かつ幅広いコース設定とし、多様なニーズに応えていくことをめざしました。 68p contest 全国専門学校日本語学習外国人留学生日本語弁論大会 主催:全国専門学校日語教育協会 スピーチに感動が広がって  留学生が思い思いのテーマで、ときにユーモラスに、そして真摯に、スピーチをします。日本人が忘れかけたこと、あるいは地球市民として大切にしたいことを訴える姿に来場者の感動が広がります 69p 第4章 次代創造期 2001年―2005年 21世紀を迎えた日本。少子高齢社会にあって、どのように舵取りをしていくかが問われています。若者が職業観を形成し、社会人がより高度な能力を習得し、またすべての人が生きがいをもって学べる専修学校は、次代を創造する教育機関として新たな期待が寄せられています。 70-75p 2001 平成13年 ITフロンティア教育の推進 国をあげてスペシャリストの養成へ、専修学校への大きな期待 21世紀の幕開け、日本列島をIT熱がかけめぐります。 スペシャリストの卵を育てていくのが専修学校なら、時代の先端にキャッチアップするスキル習得を支援するのも専修学校。 そして、地域社会の人々が、サンダル履きでITが学べる場を提供するのも専修学校です。 多様な学びの展開を通じて、ITの普及、浸透の一翼を担っていきます。 文部省から文部科学省へ  2001〔平成13〕年1月6日、霞が関の中央省庁は1府22省から1府12省へと再編され、文部省は文部科学省となりました。初代の文部科学大臣となったのが町村信孝大臣です。  また、生涯学習局は生涯学習政策局に変更されました。 社会人を対象、企業家の育成も、専修学校での取り組み  日本各地の専修学校で、2001〔平成13〕年度から、文部科学省の委嘱による、「専修学校ITフロンティア教育推進事業」が始まりました。  その趣旨とは、IT革命を支える人材育成として、特に専門的技術教育の十分なノウハウと実績を持つ専修学校において、IT関連分野に即応したスペシャリストの育成を図るため、企業の第一線で活躍する社会人を対象とした、習熟度や期間に応じた様々な教育プログラムの開発など、先導的な事業を推進するというものです。プロジェクト費は上限を2000万円とする、力の入った取り組みとなりました。  一つは「専修学校ITスペシャリスト養成推進事業」。この事業に参画した専修学校は、企業や社会のニーズを把握しながら、企業と連携し、学習者のスキル習得とIT関連資格の取得のサポート、例えば、システムアナリスト、テクニカルエンジニア、プロジェクトマネージャー、ITインストラクター、障害者教育ITスペシャリストなどの育成などを行いました。  また、IT関連の企画・構築・運営などの指導者の育成、例えば、IT化推進マネージャー、インターネット・コンテンツ制作指導者、eビジネスコーディネーターの養成などをめざしました。  もう一つは「専修学校IT起業家育成推進事業」です。例えば、eコマース(電子商取引)など、IT技能を活かして起業をしようとするマインドを持った人向けの事業です。ビジネス知識の習得のためのプログラム開発や、ベンチャー企業などとの連携によるインターンシッププログラムの開発などを行いました。 国の「e-Japan戦略」、 IT機運の盛り上がり  こうしたIT関連事業の取り組みの背景には、国家的な危機意識がありました。2001〔平成13〕年1月22日、森喜朗内閣総理大臣は、IT革命推進に向けて、国家戦略として「e-Japan戦略」を決定したことを発表。わが国のインターネット利用の遅れを取り戻し、5年以内に世界最先端のIT国家となることをめざす、と謳いました。  実際、米国などインターネット先進諸国に比べ、中高年、小中高校での利用が大きく遅れをとっていました。  そこで、e-Japan戦略は、次のような将来イメージを描き出しました。  通信インフラを整備し、通信コストを大幅に削減して、気軽に利用できる環境を整えること。  それとともに、すべての国民が情報リテラシー(ITを使った情報の入手、活用など、使いこなすことができること)を身につけ、豊富な情報を交流し得る社会をめざし、IT指導者、IT技術者などの人材が強固になること。  さらには、コンテンツ・クリエイターの育成によって、世界的な人気を博するアニメなどのコンテンツが数多く生み出されること。  それらを実現する一つとして、「社会人全般に対する情報生涯教育の充実を図る」という目標を掲げたのです。  政府は前年度の2000〔平成12〕年10月、補正予算として情報通信技術(IT)講習推進特例交付金を創設しました。これによって自治体による住民向けのインターネットが使えるようになるためのIT講習が、受講可能人数を550万人として、専修学校、各種学校をはじめ、学校、公民館、図書館などで行われました。 情報関連の専門学校以外でも、インターネット、マルチメディアなど急速にITが浸透  社会がIT革命で沸く中、専門学校においては、研修の場で、そして個々の教育現場で、着実にITと情報教育が普及、浸透していきました。  2001〔平成13〕年2月20日、財団法人専修学校教育振興会は、専門学校、高等学校、大学、企業などの情報教育担当者、200人以上の参加を得て、「情報教育指導者研修会」を開催しました。  この研修会では、財団法人専修学校教育振興会が主催する情報処理活用能力検定(J検)によって培われた情報リテラシーの教育ノウハウをまとめた「情報リテラシー教師用指導書」が公開されました。  参加者に関心の高いホームページを実際に作成をしながら、情報教育の模擬授業を行いました。さらに、中学・高校でJ検を教材に情報教育が行われている事例も紹介されました。  また、全国専修学校各種学校総連合会(全専各連)の中の情報分野の部会である全国専門学校情報教育協会は、3月1日と2日、マルチメディア教育シンポジウムを開催しました。  eラーニングのメリットについて、企業研修の場、グループ教育の場などが紹介された他、eビジネスコーディネーター育成教材開発の発表や、アメリカの先進的な遠隔教育の紹介など、国内外の事例が報告されました。 世界最大のゲームの祭典に、専門学校の学生が作品を出展  ITの最先端を行くものの一つに、コンピュータ・ゲーム機があり、動画技術などゲーム・ソフトの技術があります。  この分野でも、専門学校(専修学校専門課程)の学生は大いに活躍をしています。  世界最大のゲームの祭典といわれる「東京ゲームショウ2001春」(主催:社団法人コンピュータエンターテイメントソフトウェア協会)が3月30日から開催され、ゲームクリエーターを養成する専門学校4校から、学生が自ら開発した作品を出展しました。  このように、無限の可能性を持ったITを、多彩な人々に広げていく多様性を持っているのが、専門学校であるといえるでしょう。 新世紀の教育について「職業観、勤労観を育む教育を推進する」と教育改革国民会議  日本では、2000〔平成12〕年3月24日、小渕恵三内閣総理大臣のもとに教育改革国民会議が発足し、同年12月22日に最終報告として、「教育を変える17の提案」が取りまとめられました。  危機に瀕する子どもの状況と教育の荒廃を憂い、教育の在り方を提言し、教育基本法の見直しを求めています。  この中でも「一人ひとりの才能を伸ばし、創造性に富む人間を育成する」ために「職業観、勤労観を育む教育を推進する」ことの必要性が説かれています。  これを受けて、町村文部科学大臣は、2001〔平成13〕年1月25日、「21世紀教育新生プラン」とともに、教育の改革を果敢に実行していく決意を示しました。6月に教育改革6法案がすべて成立したのも、この一連の取り組みです。  6法案とは、公立義務教育諸学校の学級編成及び教職員定数の標準に関する法律、独立行政法人国立オリンピック記念青少年総合センター法、地方教育行政組織運営法、学校教育法、社会教育法、国立学校設置法です。  地方教育行政組織運営法は、指導力不足の教員を免職とすることができるようにしています。また、学校教育法は、高等学校2年修了後から大学への飛び入学生を認めました。そして、社会教育法は、社会教育委員に、家庭教育の向上についての活動を行う者を委嘱できるようになりました。 21世紀の専門学校のあり方を探り、「高等職業教育」の担い手に  21世紀の教育の在り方を見つめる作業は、専門学校自身においても行われてきました。  財団法人専修学校教育振興会は、1999〔平成11〕年6月、「21世紀専門学校研究会議」(座長・倉内史郎東洋大学名誉教授)を設置。21世紀の社会が求める高等教育機関としての専門学校の担うべき役割などについて、専門学校、大学、マスコミ関係者に調査研究を委嘱。2001〔平成13〕年にその報告書がまとまりました。  報告書は、2000〔平成12〕年度の高等教育機関への進学率が70・5%に達し、大学は39・7%、専門学校20・8%、短期大学9・4%で、専門学校は大学に次ぐ進学先であること、専門学校入学者31万人中の2万5000人が大学・短期大学の卒業者であることから、高等教育における職業教育に高いニーズがあることを指摘。専門学校は、「高等職業教育」の担い手として位置づけています。  と同時に、IT革命などによって、産業・雇用構造が変動する中で、「職業人再教育」の中核的拠点としても期待されていると述べています。  これらのニーズを踏まえ、高等教育機関として特色を発揮させ、充実を図ることが、今後の専門学校のあり方であるとし、端的な表現として「大学」の呼称を用いた専門大学の創設が盛り込まれました。  これを受けて全専各連の会員の中で学校法人が設置する専門学校で組織する全国学校法人立専門学校協会は、専門学校特別委員会を設け、さらにその後、名称を専門大学推進委員会とし、答申をまとめました。ここでも、高等教育機関として現状ではわかりにくいことが指摘され、明確な制度の創設が訴えられました。 囲み 専修学校ITフロンティア教育推進事業 ――2001〔平成13〕年度の例―― ●専修学校ITスペシャリスト養成推進事業 *実践的Javaエンジニア育成プログラムの研究開発等 *産業界及び医療業界が求めるITスペシャリスト教育 *カリキュラムに関する研究開発 *ITインストラクタ育成コースの開発 *ITコーディネータ育成のための教材開発 *インターネット・コンテンツ制作指導者のための「D.A.W.」教育プログラムの研究開発 *プロジェクトマネージャ育成教育プログラム開発 *「上級システムアドミニストレータ」教育プログラムの研究開発 *IT化推進マネージャ教育プログラムの開発と実証実験 *ネットワーク技術者養成教育プログラムの研究開発 *ウェブマスター育成教材の研究開発 *eビジネスコーディネータ育成のためのケース問題集及びe−leaning教材の開発 *テクニカルエンジニア(ネットワーク)を育成するWBT教材の開発 *ネットワーク管理技術者育成教材の研究開発 *障害者教育ITスペシャリストの育成とプログラム開発 ●専修学校IT起業家育成推進事業 *IT資格・技能を活かした起業家育成教育プログラム *eコマース環境下における起業家育成教育プログラムの開発 *地方都市におけるIT資格、技能を活かした起業家育成プログラムの研究開発 *多角的産学連携による起業家育成教育プログラムの研究 *ITベンチャー企業創業事例によるIT起業育成推進のための「起業家発掘・育成システムおよび教育プログラム」の研究開発 * 沖縄県専修学校におけるIT起業家育成推進のための「起業家発掘・育成システムおよび教育プログラム」の研究開発 71p data column インターネット 普及率の国際比較  郵政省の通信白書を見ると、北欧、米英、そしてアジアと各国政府がインターネットの普及を競い合う中、日本の健闘ぶりも見ることができます。  しかし、注目すべきは韓国で、インターネットの中でも超高速のブロードバンド通信網の普及についていえば2001年の加入者数780万人と、韓国政府の調べではOECD加盟国中、最も普及率が高いといわれています。 出典:郵政省「平成12年通信白書」、総務省「平成13年版情報通信白書」、「平成13年通信利用動向調査」およびNUA社公表資料(2000年2月、2001年3月末、2002年3月末現在) 72p data column ベンチャーたちの「ビットバレー」  2002〔平成14〕年2月、「ビットバレー」関係者の会合が六本木のディスコで開催され、約2000人が集まり、ソフトバンクの孫正義社長はスイスからチャーター機でかけつけ、速水優日本銀行総裁の姿もそこにあり、話題を呼びました。ネットビジネスの熱が急上昇したころのできごとです。  ビットバレーとは、インターネット関連ベンチャー企業が集中した、東京の渋谷のこと。渋をビター、谷をバレーとしたもので、コンピュータ用語のbitともかけたネーミングです。  ソフト系IT産業は、翌年(2003〔平成15〕年3月〜9月)には秋葉原駅周辺で事業所が増えていったことを国土交通省の「ソフト系IT産業の実態調査」は伝えています。  同調査は、NTTのタウンページから「ソフトウェア産業」「情報処理サービス」「インターネット関連サービス」をソフト系IT産業として抽出して集計。都道府県別では、三重、宮崎、佐賀、沖縄、徳島が上位五県で、西日本での開業率が高いことが明らかになりました。  情報通信産業が成長を続けていることは、他の主な産業との比較でも明らかです。1985〔昭和60〕年〜1999〔平成11〕年の年平均成長率は、情報通信産業が6・3%と最も高くなっています。実質国内生産額では、1995〔平成7〕年〜1999〔平成11〕年で、情報通信産業は建設を上回り最大規模の産業となりました。 73p opiniom column ITフロンティア教育推進事業の成果、 eラーニングの可能性 株式会社 教育戦略情報研究所代表 舟本 奨  専修学校ITフロンティア教育推進事業の取り組みは、専修学校にとって様々な成果をもたらしました。  企業との良き連携の機会となり、専修学校にとってレベルアップにつながりました。このときに開発されたプログラムは、その後実用化されるなど、産業界から高い評価を受けています。  従来、国家試験をはじめとした資格試験対策に力点を置いてきたともいえる専門学校の教育に、開発型の体質が備わっていく契機ともなったといえるでしょう。個々の学校が獲得した、こうした成果を広く普及させていくことが望まれます。  さて、今日、あらゆる分野の教育にITの導入が図られています。専門学校においても、教育の高度化に欠かせないものとして期待されているのがeラーニングです。  eラーニングによって、学習者の学習プロセスを分析しながら、一人ひとりのレベルに応じてステップアップできるように指導をすることができ、学習意欲を損なうことなく学ぶことができるという機能を持っています。つまり、学習者の習熟度をよく理解している先生がマンツーマンで指導をするといったことをITが支援してくれるのです。もちろん、自己学習だけでなく、インターネットを通じて遠隔地同士での集合学習にも力を発揮します。  eラーニングが教育現場で広く取り入れられていくには、設備の導入はもちろん、先生方が自らの知識や技術を授けるにとどまることなく、学習者に最適の学びを提供できるマネジメント能力を身につけること、また、多様な遠隔教育を可能にする制度の整備が必要で、現在、それぞれの場で取り組みが進められていることに大きな期待をしています。 74p contest 全国専門学校 ロボット競技会 主催:全国専門学校情報教育協会 デジタル技術とチームワークで競い合う  自律型ロボット対戦競技は、自作のロボットで競技する「ハードウェア部門」、市販のロボットにプログラムを組み込んで対戦する「ソフトウェア部門」があります。  また、有線型ロボット対戦競技では、自作の有線リモコン操縦ロボットで対戦します。 75p summit ケルンサミット、「必要とされる知識、技能、資格を市民が身につけること」と生涯学習を謳う  ドイツのケルンで1999〔平成11〕年6月に開催された主要国首脳会議(ケルンサミット)は、来る21世紀がよりグローバルな時代となることを見据え、人々の学びがますます重要になることを訴えるべく、サミット史上初めて、教育を主要テーマとして上げました。  G8コミュニケ(首脳共同宣言)には教育と生涯学習の重要性が盛り込まれ、英国ブレア首相のイニシアチブのもとで、「生涯学習の目的と希望」と題された「ケルン憲章」が採択されました。その総論部分は、次のように、技能、資格を市民が身につけることをすべての国の課題としています。  世界のリーダーたちが、世界に向けて生涯学習の意義を高らかに宣言したことは画期的であり、その担い手である専修学校には、大きな励みとなりました。 ケルン憲章 生涯学習の目的と希望(総論)  すべての国が直面する課題は、どのようにして、学習する社会となり、来世紀に必要とされる知識、技能、資格を市民が身につけることを確保するかである。経済や社会はますます知識に基づくものとなっている。教育と技能は、経済的成功、社会における責任、社会的一体感を実現する上で不可欠である。  来世紀は柔軟性と変化の世紀と定義されるであろう。すなわち、流動性への要請がかつてないほどに高まるだろう。今日、パスポートとチケットにより人々は世界中どこへでも旅することができる。将来には、流動性へのパスポートは、教育と生涯学習となるであろう。この流動性のためのパスポートは、すべての人々に提供されなければならない。(仮訳/外務省ホームページより) 76-81p 2002 平成14年 社会的な評価を高めるために自己点検・評価と情報公開の取り組み 専修学校が社会と学習者のニーズに対して、質の高い職業教育で応えるために、そして、高度な教育に相応しい評価を、学習者も教育の提供者も受けるために、自らを点検・評価するしくみを作り上げることが、社会から求められています。文部科学省は専修学校設置基準の一部を改正し、自己点検・評価と、その公表を促しました。 点検・評価、説明責任、 情報公開の時代の流れに  財団法人専修学校教育振興会は「専門学校における自己点検・評価に関する調査報告書」を、2002〔平成14〕年から2004〔平成16〕年にわたって発表しました。  これは、2001〔平成13〕年度から3年間の文部科学省の委託事業で、全国学校法人立専門学校協会の会員校を対象にアンケートを送付して調査した結果をまとめたものです。  1年目は、自己点検項目として、入学状況、入学者の学歴、出身地域、退学、卒業、就職状況などを、自己評価項目として、立地・施設設備・福利厚生、産学連携、入学・進級、卒業・資格取得・就職、教員の状況・処遇、財務について調査。1491校に送付し、299校から回答を得ました(回収率20・1%)。  2年目は、「教育」「施設・設備」「学生サービス」の3つの領域について調査。1519校に送付し、449校が参加しました(回収率29・6%)。  3年目は、専門学校の管理・運営、教職員、就職支援などについての自己点検・評価の現状を把握。今後の専門学校での点検・評価の在り方について、意見を集めました。1515校に送付し、654校から回答を得ました(回収率43・2%)。  こうした取り組みと並行して、文科省は、専修学校設置基準の一部を改正。2002〔平成14〕年4月1日より施行し、専修学校が教育活動などについて自己点検・評価を行い、それを公表するよう促しました。  時代は、行政評価、企業価値の評価など、様々な評価活動と、評価結果の公開、説明責任を果たすことを求めており、大学は1999〔平成11〕年から自己点検・評価が義務づけられています。  自己評価とは、「こうありたい自分に現在の自分を近づけるために、両者を比べてみること」「組織や事業について対話するために、共通のことばをもつこと」であるといわれます。  2002〔平成14〕年5月1日現在、全国に専修学校数が3467校、私立専門学校が2967校あるうち、自己点検・評価を導入している専修学校は570校で、そのうち134校が結果を公表しています。  また、高等課程での導入は66校、公表は13校(全国の私立高等専修学校数は621校)で、一般課程では20校、公表4校でした。(文部科学省、私立高等学校等実態調査より)  2002〔平成14〕年からは自己点検・評価研修会が東京と大阪の2会場で開催されています。調査の報告、財務分析についての講演、事例発表などをはじめ、様々なテーマで行われています。 専修学校設置基準 第一条の二 専修学校は、その教育水準の向上を図り、当該専修学校の目的及び社会的使命を達成するため、当該専修学校における教育活動等の状況について自ら点検及び評価を行い、その結果を公表するよう努めなければならない。 中央教育審議会基本問題部会に、全専各連が意見陳述  文部科学省の中央教育審議会は、2002〔平成14〕年11月14日、「新しい時代にふさわしい教育基本法と教育基本計画の在り方について(中間報告)」を公表し、次のように述べています。  「教育は職業生活に対して適切な準備を与え、社会の要請に応じて常に人々の職業生活を支援するものであることが今後ますます重要になると考えられる。(中略)これからの学校教育においては、子どもへの的確な職業観の育成を図り、キャリア教育の充実に努めるとともに、社会においても生涯にわたり職業にかかわる学習機会を充実していくことが必要である」  全国専修学校各種学校総連合会(全専各連)は同審議会基本問題部会に対して、この考えに共鳴の意を伝え、職業教育、技術・技能教育が教育基本法に明確に位置づけられ、教育基本計画の中でも大きな柱として位置づけられるよう、12月13日、意見書を提出しました。 増える4年制以上の専門学校生、その学習成果を適切に評価するしくみを  社会においてプロとして求められる知識・技能などが高度化する中、それに伴って修業年限4年以上の学科を設置する専門学校が増えています。  1983〔昭和58〕年当時、修業年限4年以上の専門学校の在学者は、3887人でした。それが2004〔平成16〕年5月には3万8585人にもなり、この20年の間に10倍にも増えました。これは現在の専門学校生の5・5%にあたる数字です。  分野別に見ると、もっとも多いのは理学療法士、作業療法士の養成課程を持つ医療分野の2万6315人で、4年制以上の専門学校生の68・2%にあたります。  次いで、1級自動車整備士の養成課程がある工業分野は6849人(同17・8%)。  福祉関係の国家資格の養成課程がある教育・社会福祉分野は1811人(同4・7%)。  デザイン系の学科がある文化・教養分野が1413人(同3・7%)となっています。  4年制以上の専門学校生は、今後も、さらに増えていくことが予測されます。しかし、その学習成果を適切に評価し、表現するしくみが、この時点ではありませんでした。専門士の称号は、2年制以上で付与され、4年制以上の課程を修了した者に相当な評価制度が求められていたのです。  こうしたことで、制度改革に向けた運動が行われ、後の制度改革につながっていきました。 77p opinion column 努力とその成果が反映される評価システムを 財団法人専修学校教育振興会常務理事  自己点検・評価に関する研究委員会委員長 静岡福祉医療専門学校校長 中村 徹  「社会の評価のものさし」に対して、専修学校は、どう自らを点検・評価し、情報開示するのかが問われています。  これは一つのハードルですが、これをクリアしてこそ、今回の「高度専門士の称号」も、「大学院の入学資格」も本当に価値あるものとなるだろうと思います。  例えば、ホテルに3つ星、4つ星があり、国家も世界の評価ランキングの対象であるように、教育機関も同様です。受益者である学生・生徒と保護者の立場で考えれば、どのような人材を育成しているのか、といった「教育の目的」や、いい授業が受けられる学校なのか、就職率は高いのか、経営状態は健全なのか、などといったことについて、情報開示が行われて当然(社会的責任)といわなければなりません。また、このことが健全な学生・生徒募集につながるのです。  教育現場において、先生方は、学生・生徒の理解状況がどうなのか、意欲的に学ぶことができているのかといった点検・評価は、日常的に行われていることだろうと思います。  これらをどのように形を整えて開示するのかが、取り組むべき一つの課題です。自己点検・評価は大学が先行していますが、それとまったく同じやり方を専修学校がするのは得策ではありません。というのは、多様性に富んだ分野・課程や学校規模の違い等、すべて横並びというのではなく、「専修学校に相応しい点検・評価」があっていいはずだからです。  それを開発していくことこそが、専修学校自身に求められていることなのでしょう。それぞれの学校は、生き残りをかけて「教育の質の向上」に真剣に取り組んでいます。努力とその成果が反映される評価システムでありたいと思います。 81p contest 全国簿記電卓競技大会 主催:社団法人全国経理教育協会  1981〔昭和56〕年に全国珠算競技大会としてスタート。1994〔平成6〕年に電卓部門が新設され、2002〔平成14〕年に珠算部門が廃止となり、現在の全国簿記電卓競技大会となりました。  参加は、専門学校、高等専修学校に加え、2003〔平成15〕年からは高等学校の部門が新設されました。  出題されるのは、全経簿記能力検定試験2級を中心とした問題です。個人総合競技と団体総合競技があります (社団法人全国経理学校協会は2005〔平成17〕年に社団法人全国経理教育協会に改称しました) 82-87p 2003 平成15年 7月11日は「職業教育の日」に 若者の「働く意識」の啓発を 学校を卒業後、手に職も持たなければ、独り立ちする意識も持たず、アルバイトで日々を送るフリーターと呼ばれる若者、あるいは、働きも学びもしないニートと呼ばれる若者が増えています。 職業教育の大切さを人々に知らせていくことを目的に、「職業教育の日」を制定しました。   職業教育をキーワードに、教育全体のとらえ直しを  全国専修学校各種学校総連合会(全専各連)は、2003〔平成15〕年の第49回定例総会で、会員校の意見を集約して取りまとめた「職業教育をキーワードとした今後の専修学校各種学校のあり方について」を(P・85〜87を参照)承認しました。  これは、定職に就かないフリーターや、働く意識を持たず、学ぶこともしないニートなどの若者が増える時代にあって、職業教育による教育全体のとらえ直しを呼びかけ、専修学校各種学校のあり方について具体的な制度改正を念頭に、提言したものです。  それとともに、全専各連は、人々が職業教育の重要性について認識を新たにし、職業教育体系が構築されていくことを願って、7月11日を「職業教育の日」として制定しました。日本の職業教育の中核的存在である専修学校の制度が誕生したのが、1975〔昭和50〕年7月11日だったのです。 幅広いサービス分野の実務体験をする講習を実施  フリーターは200万人以上、ニートは64万人とも85万人ともいわれます。  高校生がフリーターにならないように、また、フリーターが正規の職に就くように、若者が社会に出て年齢とともに能力を高めていけるように。こうしたことをねらいの一つとした講座が、翌2004〔平成16〕年度に行われました。  これは、厚生労働省が、東京都、大阪府、愛知県など9つの都道府県の専門学校に委託して、サービス分野の多様な仕事について、求職者や就職希望者に理解してもらおうと講座を設けたものです。長引く不況の中、雇用創出のカギとして期待されたのが、サービス業の分野なのです。  同省では、約5000人の受講枠を設け、例えば、そのうちの約1000人分を社団法人東京都専修学校各種学校協会に委託しました。  同協会では、「専門学校サービス分野実務体験ツアー」を実施しました。これは、幅広くあるサービス分野の中から、医療・福祉、社会生活、情報通信、流通・物流、環境、ビジネス支援、人材、住宅を選び出し、この分野の専門学校が受講者の育成にあたるというものです。講習は延べ5日間で、全体講習の後、3つの分野の専門学校や企業を訪問して実務体験をし、最終日にキャリア・コンサルティングを受けて修了としました。  対象者は、高校生以上35歳以下で、現在求職活動中か、高校生、短期大学生、大学生で就職準備中の者で、サービス分野に興味を持っていること、でした。  延べ30コースを用意し、様々なコースを選べるのが受講者に好評でした。  求職者にとって、実務を疑似体験できる場として専門学校は、大きな役割を果たしています。 「キャリア・サポート・マインド」の講師養成に高い関心が集まって  専修学校の教職員向けの研修として、学生・生徒のキャリア形成を支援していくスキルを習得するという視点から、キャリア・サポート・マインドの醸成という取り組みも熱心に行われました。  財団法人専修学校教育振興会は、2003〔平成15〕年度に「あらゆる専門学校で活用できるキャリア・カウンセリング導入方法の研究開発」を、続いて、翌2004〔平成16〕年度には「『専門学校教職員向けキャリア・サポート・マインド養成講座(CSM講座)』の講師養成プログラム等の研究開発」(いずれも文部科学省の委託事業)を実施しました。  1年目は、全国の専門学校を対象にキャリア・サポートに関する実態調査を実施。その結果、多くの職員が「学生のキャリア意識の育成」への取り組みをを早期に導入する必要性を感じていることが明らかになりました。こうした調査とともに、学生と教員の相談場面を想定したロールプレイングなどの体験学習方式による「専門学校教員のためのキャリア・サポート・マインド養成講座」カリキュラムを開発し、その実証講習会を行いました。体験学習を中心としたことによって、受講者に「気づき」を促し、受講者の意識向上に効果が高いことが明らかになりました。  2年目は、キャリア・サポート・マインドを身につける研修を行うための講師を養成するCSMトレーナー養成研修を行い、そこでの受講者が講師となってCSM講座実証講習会を行いました。 時代の変化、学生・生徒の変化に応じ、様々な研修を実施  また、財団法人専修学校教育振興会は、ビジネス教育「教員と講師のための研修会」を、1997〔平成9〕年から毎年行っています。  2002〔平成14〕年には札幌、大阪、福岡で開催。「地元企業からの人材ニーズの話」「教育現場でのビジネス教育事例発表」「ビジネス能力検定の研究」の3つをテーマに取り上げ、参加者はビジネス教育の重要性をあらためて強く認識しました。  2003〔平成15〕年には、札幌、仙台、広島、福岡、那覇で開催し、「コミュニケーション能力」「対人折衝」「仕事に対する基本姿勢」「職場での人間関係処理の基本」など、職場で欠かせない基本的かつ重要なことがらについて、学生に身につけさせて社会に送り出す、というねらいのもとに行いました。  企業から講師を招き、「私が求める人材像」の話を受け、専修学校からのB検を教材にした事例報告など、様々な事例が取り上げられました。 個人立専修学校等の学校法人化に向けて  専修学校には、学校法人立、個人立などがあります。国は、学校法人への移行が容易になるよう、2003〔平成15〕年12月、私立学校法の一部改正を行い、基準を緩和しました。  従来、生徒定数は150人以上であったのが、80人以上とされ、校舎の床面積は465_(150坪)程度以上だったのが撤廃され、設置基準(80人であれば300_)を満たせばよいことになりました。また、校地や校舎は、借用などであっても適正に運用を行ってきた実績があれば認められるようになりました。 専修学校構想懇談会による報告書、信頼性確保に力点  専修学校における職業教育、また高等教育機関としての在り方について検討していた社団法人東京都専修学校各種学校協会と東京都は、「専修学校構想懇談会」(多湖輝会長)を立ち上げ、2003〔平成15〕年3月28日に報告書をまとめました。「学校の存立の行方は社会からの信頼と学生からのニーズによるところがすべてで」、信頼確保のための検証のしくみが必要であるとしています。第三者機関として、非営利による評価研究機構の設置を呼びかけ、その後、特定非営利活動法人(NPO法人)として発足していきます。 84p opinion column キャリア・サポート・マインドの重要性 財団法人専修学校教育振興会  CSM研修運営委員会委員長 産能短期大学教授 小野紘昭  就業意欲が低い、自分はこうなりたいという目標が設定できない、意欲がわかない。こういった若者たちが増えているといわれています。  そこで、職業意識を持つように導く、キャリア教育への関心が高まっています。国がキャリア・コンサルタント5万人の育成を掲げている目的の一つも、そこにあるのです。  専修学校では、かつてであれば、この仕事に就きたいからこの技術を身につけるという動機が明確だったのですが、今日では学生・生徒の多様化が進み、キャリア教育の必要性が生まれてきているのです。そこで、先生方にキャリア教育に対する意識を高めていただくため、キャリア・サポート・マインドを養う取り組みが始まったのです。  キャリア教育の特徴は、「教え込む」のではなく、「気づくように導く」ことにあります。キャリア(目標)は一人ずつ違うので、学生・生徒は先生のサポートを受けながら、自分のやりたいこと、自分がなりたいもの、自分らしさなどに気づいていくことが重要なのです。  こうしたアプローチは、学生・生徒のキャリア相談で悩んでいた先生方にとっては、新鮮だったようで、意欲的に取り組んでおられました。今後の課題は、各分野で携わる先生が工夫を重ねながら、職業教育の要である専修学校ならではの手法を開発していくことだろうと思います。  キャリア教育は、どこの会社に何人入ったという明確な成果とは違い、「あのとき、こう言ってもらってよかった」と数年後にわかるという、もどかしさが残る面もありますが、今日、ますます重要性が増しています。 全専各連は2003〔平成15〕年の第49回定例総会で、会員校の意見を次のように取りまとめました。 職業教育をキーワードとした今後の専修学校各種学校のあり方について 全国専修学校各種学校総連合会 職業教育の中心は専修学校各種学校  昭和51年に新しい学校制度として専修学校が誕生して、今年で27年となる。専修学校は、各種学校が培ってきた実践的な教育を継承・発展させて「職業教育」のあるべき姿を形作ってきた。ピーク時には85万人の在籍者を有し、現在も専門学校を中核として産業界に有為な人材を供給し続けており、実践的、専門的な技術や技能、知識を習得するために、専修学校は社会的になくてはならない存在となった。  わが国の教育政策は、15歳人口の減少とついで訪れた18歳人口の減少、そしてバブル崩壊後の不況にともなう就職難の時代に、規制緩和と自己責任の考え方を基本に個性的で多様なニーズに対応するさまざまな改革を行い、多くの成果をおさめてきた。専修学校においても、高等専修学校の大学入学資格の付与、専門学校卒業者への専門士称号の付与、専門学校卒業者の大学への編入学、大学や高校との単位互換など、大きな改革が実施され、「職業教育」を実践する学校群として社会的な地位が着実に向上してきたといえる。  しかしながら今のわが国には、高い失業率やいわゆるフリーターの増加など、緊要の課題が突きつけられている。とくに若年層の就業率の低下は、国民年金や健康保険といった国民生活に直接関わる社会保障制度の行き詰まりや国の税収の減少など、社会基盤を根底から揺るがしかねない問題とさえなってきている。  これまでのわが国の教育は、個々の人間が職業によっていかに自己実現を図っていくかについての教育を、あまりにもおろそかにしてきたのではなかろうか。職業観や自己のキャリア形成の方向性をしっかりともち、豊かな職業生活を一人ひとりの国民が営むことができる社会の構築のために、われわれ全国専修学校各種学校総連合会は、改めて「職業教育」の今後のあるべき姿を検討し、社会が求める「職業教育」を切り口とする政策の推進について、ここに基本的な考え方をまとめた。   職業意識涵養の必要性  総務省の労働力調査によると、平成14年度の若年者(15〜24歳)の失業率はほぼ10%、求職活動をしていない者も含めた潜在的失業率は14%となっている。また、総務省の平成15年版の国民生活白書では、平成13年度におけるフリーター(15〜34歳で、パート・アルバイトや働く意志のある無職)も417万人と10年余りで2倍以上に膨らんだと報告している。人は、将来職業に就き社会の構成員となることを期待されている。しかし、現代の若年者層は個人の意識として働くことに対する動機が希薄で、職業人として社会の構成員となることの意識に欠ける傾向が見られる。つまり自分が就きたいと夢想する職業を模索するばかりで、現実から逃避し、結果的に社会貢献にいたらない。  これは、学校教育の中で、職業に対する意識や自分のキャリアをいかに積んでいくかについて深く考える機会がなかったことがその一因ではなかろうか。専修学校各種学校を除き、初等中等教育段階においても高等教育段階においても、残念ながら社会生活を送る上でいかに職業が大切であるかといった職業意識の涵養には心を砕いては来なかった。  乖離しつつある社会の期待と個人の意識を、職業を介してしっかりと結びつけていくためにも職業教育、キャリア教育の重要性は増してきている。各教育段階別に職業教育、キャリア教育の体系化が図られ、発達段階に応じた職業意識涵養のための教育プログラムが用意されることを社会は求めているのである。 職業教育による教育全体のとらえ直し  かつての文部省の初等中等教育局には、「職業教育課」が置かれていた。職業教育は従来、後期中等教育の中で重要な役割を果たしてきた。しかしながら、社会の変化に伴い高等学校卒業と同時に社会に出て働く意識が希薄化し、企業の人材ニーズの変化もあって、今や高等学校卒業者の進路は大学か専門学校かに二分化されてきている。いわゆる高等教育の大衆化によって職業教育の主たる場面は高等教育段階に移行してきたのである。  このような情勢において、高等学校では職業教育に関して的確な進路指導が徹底されていない。それにもかかわらず高等学校卒業後、専門学校へ進学する学生が増加し、多くの若者が職業人として社会に巣立っている。他方、明確な目標や目的を持たずに大学に進学する高等学校卒業者も多く、結果として大学在学中に自分の進路を変更し、あるいは卒業後に新たな目標を見つけ、専門学校にあらためて入学してくる者が急増している。  まさに「職業教育」をキーワードにもう一度今の教育のあり方をとらえ直してみることを示唆したものと言える。  特に中学・高等学校においては勤労観、職業観を育成し、進路指導の場で各人の能力・適性・希望に基づいた適切な進路選択ができるよう援助することが求められよう。  また、今後の高等教育を考えていく場合には、職業教育政策を再構築し、実社会に有効な実践的で専門的な技術・技能の教育を高等教育機関において明確に位置づけるとともに、一般的な教養を習得し高度な学術研究を行う高等教育機関の充実と相まって、人材育成における役割分担が明らかにされていくこととなろう。  職業教育は人生のいかなる時でも重要なものであり、職業を一番良く知る教育機関である専修学校各種学校は、社会に出る前の青少年に限らず、小中高校生の職業意識の涵養や社会人の長期・短期のキャリアアップやフリーター等の再教育のニーズに対して積極的に対応することができるものである。専修学校各種学校は、幅広い年齢層に対して高度でありながら身近で親しみやすい職業教育の拠点として発展すべきであろう。 高等専修学校等を取り巻く動向  すべての教育段階において、すべての学習段階にふさわしい職業教育がある。小学生には小学生に対する、中学生には中学生に対する職業教育があってしかるべきだ。とくに中学校までの義務教育の中で行われる職業教育は、まさに職業観の育成、職業教育の涵養を主たる目的として、総合的学習の時間などを活用し、社会との関わりを深めるための教育として学習者に提供されることが望まれる。  それに対して義務教育終了後、後期中等教育段階での職業教育は、高等学校の工業科、商業科、農業科、水産科などのいわゆる専門高校での教育と、高等専修学校におけるより実務的な職業教育が存在する。高等学校卒業者の就職率が、大学進学率、専門学校進学率についで3番目となっていることは、長引く不況により高校生の就職が厳しい状況にあることとともに、いまの高等学校での職業教育が社会の求めるものとギャップがあることを示している。  一方、高等専修学校でのより実務的、実践的な教育は、卒業後の専門学校への進学や就職を前提としてカリキュラムが組まれ、社会人としての基本的な資質を身につけることとあわせて、社会のニーズに応えている。また、わが国の大きな教育問題である不登校についても、近年、高等専修学校では職業教育を通しての立ち直りを図り着実な成果をあげて、社会から大いに期待されているところである。  したがって、普通教育を中心とした高等教育と、職業教育を中心とした高等専修学校の棲み分けを明確化し、同時に、高等専修学校に通う生徒の学習意欲や将来への希望を損なわないようにするためにも、高等専修学校と高等学校の制度上の位置づけを同等とする施策が社会的に求められているのである。 専門学校を取り巻く動向  バブル崩壊後の長引く景気低迷による雇用情勢の悪化により、特に高等教育を卒業した者の就職率は、企業の人材育成システムの変革に伴う中途採用や通年採用の一般化とも相まって、大変厳しい状況にある。実際に、総務省の労働力調査によると、平成14年度の失業者の総数は359万人でこのうち20〜24歳は53万人(完全失業率9・3%)となっている。  しかしながら、こうした悪条件のなかでも専門学校は76・7%(平成14年度文部科学省学校基本調査)と、高等教育段階における職業人養成という期待に十分に応える成果を出している。  学校教育法には、教育機関ごとに固有の目的が規定されている。大学の本来の目的は、「学術の中心として広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させること」であり、専門学校は「職業若しくは実際生活に必要な能力を育成し、又は教養の向上を図ること」を目的としている。それぞれの目的にそって教育が行われていれば、大学と専門学校の棲み分けはおのずと明確になるはずである。職業教育は一朝一夕に実践できるものではなく、専門学校は自らの目的にしがたい社会のニーズ、学生のニーズに即応して、職業教育をここまで発展させてきたのである。大学等を卒業して専門学校に入学する者が年間2万6000人にのぼっている事実、あるいはダブルスクールで専門学校に在籍している大学生の存在こそ、専門学校での職業教育が高く評価されている証なのである。  したがって、高等教育においては、大学と専門学校がそれぞれの特長を生かした教育を社会に提供するべきであろう。特に専門学校は様々な職業分野に必要な能力を教育し、職業人としての熟練度をあげていく教育を行うことが必要である。  また職業教育は社会構造の変化や技術の進展とともに高度化していく。文部科学省は近年「専門大学院」や「専門職大学院」等の施策を打ち出しているが、社会としてはさらに一歩上の職業教育を標榜する専門学校の延長線上に、高度な職業教育のみを行う新たな教育機関の創設、制度の導入を望んでいるのではなかろうか。  さらに、技術・技能の海外移転による国際貢献の観点からは、専門学校での留学生受け入れ促進のために、より一層の環境整備も必要である。 これからの職業教育の課題  中央教育審議会答申『新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について』(平成15年3月20日)でも指摘されているとおり、「職業は、一人一人の人生において重要な位置を占めており、人は働くことの喜びを通じて生きがいを感じ、社会とのつながりを実感することができる。しかし、経済構造が変化する中で、価値観の多様化が進んでおり、職業観・勤労観の育成がこれまでにも増して必要となってきている(中略)これからの学校教育においては、子どもに的確な職業観・勤労観や職業に関する知識・技能を身に付けさせるとともに、自己の個性を理解し、主体的に進路を選択する能力や態度をはぐくむための教育の充実に努めることが重要であり、また、社会においても生涯にわたり職業にかかわる学習機会を充実していくことが重要である」ことは、明らかである。  すべての人々が自己の職業教育を真剣に考え、自分にあった技術教育や技能教育、専門教育を受けようとする今、専修学校各種学校は、社会ニーズに的確に対応し地域に根ざした職業教育機関として、その社会的責務に応えることが求められている。 ―第49回定例総会(平成15年6月11日)承認― 87p contest 全国学生技術コンテスト 主催:社団法人全国理美容学校連盟 簡単そうで難しいのがワインディング  パーマの基本であるワインディング。髪の毛をロッド(筒)に巻きつけて、パーマ液をかけてウェーブを仕上げます。その作業は一見すると簡単そうですが、習熟するまでには時間がかかります。審査員も入念にチェックします。  そして技術と創作力が試されるヘアカット。この2つの部門でコンテストが行われます。 88-96p 2004 平成16年 専修学校がもつ職業教育の力をアピール 全国各地で、職業意識をつかむきっかけに 「職業教育の日」制定2年目、日本列島の様々な地域で、若者向けのイベントが開催されました。 小泉内閣の「骨太方針」に盛り込まれた若者自立・挑戦プランには、専修学校も積極的に応えていきます。 また、社会の専修学校への認知不足などから生じる問題は徐々に解消されていますが、なお格差是正の課題は残されます。 「職業教育の日」、若者に意識の喚起を  職業教育とは、知識や技術・技能を習得しながら、社会に対して向き合う姿勢を身につけ、プロとしての自覚と責任と喜びを身につけ、自分を高めていくものです。全国専修学校各種学校総連合会(全専各連)は「職業教育の日」制定を機に、とくに若者に、専修学校・各種学校の持つ職業教育の力を積極的に訴えることをめざしました。  シンボルマークは、若い男女が未来に向かって羽ばたいていく姿をイメージ。シンボルカラーの青と緑は、大きな青い空、豊かに育つ緑を表現しています。  全専各連は7月11日の前後1か月間を「職業教育推進月間」とし、シンボルマークを大きくあしらったポスターを作成。また、シンボルマークの入ったトートバッグなどを配布し、「職業教育の日」を広くアピールしました。 テレビで人気のゲストも招き、若者向けに記念イベントを開催  「職業教育の日」制定2年目の2004〔平成16〕年、全専各連の各都道府県協会等は、北海道から九州まで全国でイベントを展開しました。  東京では、中央行事として、7月3日、全専各連と全国学校法人立専門学校協会が主催し、文部科学省、厚生労働省、東京都などが後援して、「職業教育の日・記念シンポジウム」を開催しました。  主催者を代表して、全専各連の鎌谷秀男会長が、「これからの社会を担うみなさんに働く意味、自分がどのような仕事をしたいのかを考える布石になるように」と挨拶をしました。  続いて、文部科学省生涯学習政策局の小松悌厚専修学校教育振興室長、厚生労働省職業能力開発局の室川正和能力開発課長からのメッセージがあり、さらに、厚生労働省の日本版デュアルシステム協議会の座長を務めた、名古屋大学大学院の寺田盛紀教授から「キャリア形成と就職メカニズム」をテーマに、基調講演が行われました。  「好きな仕事で、夢をかなえる!」のテーマで行ったパネルディスカッションは、高等専修学校生、高校生、専門学校生の合計8人の学生パネラー、そしてゲストパネラーとして、振付師で人気タレントのKABA.ちゃんと株式会社ライブドア代表取締役兼CEOの堀江貴文さんを迎えました。  ディスカッションは、学生パネラーが仕事への思いやフリーターなどについて語ることから始まりました。  KABA.ちゃんは、「アルバイトは、生活費を稼ぐ手段としては妥当だけれど、それは仕事ではなく、踊りでご飯が食べられるようになるまでと決めていました」とコメント。ディスカッションは、仕事と夢の実現へと発展しました。  学生パネラーは、イラストレーター、保育士、声優、医療スペシャリストなど、それぞれに将来の職業についての夢を語り、ゲストに夢実現のために乗り越えたことなどを問いかけると、ゲストも自らの歩みを振り返りながら答えていきました。  また堀江氏は、「親の言うことよりも、自分を信じること。そうすればきっと成功する」と体験を交えながら、若者たちにメッセージを届けました。 全国各地で、専修学校生も積極的にイベントに参加して  イベントは東京だけではなく、各地で開催され、講演会やシンポジウムのほか、参加型、体験型と、職業教育の担い手らしい内容が盛り込まれました。  社団法人群馬県専修学校各種学校協会は、「第1回職業教育フェア」として開催。中学・高校生と専門学校生などによるパネル・ディスカッション、「好きな仕事で、夢をかなえる!」で思い思いに夢が語られ、イベント会場では、ゆかたファションショーも繰り広げられました。  社団法人新潟県専修学校各種学校協会は、「NIIGATA JOB WORLD 2004」を開催。記念シンポジウムとしごとフェスティバル体験フェアが行われ、専門学校生が、来場した中学生や高校生たちに、様々な仕事を紹介しました。 専修学校の教職員をはじめ、関係者にとっても、自らの使命をあらためて噛むみ締める機会となりました。 4府省と民間が連携、「骨太方針」にも盛り込まれた若者自立・挑戦プラン  文部科学省、厚生労働省、経済産業省、内閣府の4府省は、若者の雇用問題について、根本的な対策を講ずるために2003〔平成15〕年4月に若者自立・挑戦戦略会議を発足させました。そして6月には教育・雇用・産業政策の連携を図った官民一体の人材対策として「若者自立・挑戦プラン」を策定しました。  これは、いわゆる「骨太方針」(経済財政運営と構造改革に関する基本方針2003)に、その推進が盛り込まれるという、重要政策として位置づけられ、取り組まれていきました。 短期教育プログラムと日本版デュアルシステム  専修学校においては、文部科学省委託の2004〔平成16〕年度事業として、「フリーター等に対する短期教育プログラムの開発・導入」「実務・教育連結型人材育成システム(日本版デュアルシステム)の開発・導入」に取り組みました。  短期教育プログラムは、専修学校、企業、研究者などでつくった委員会を事業ごとに組織して、IT、バイオ、福祉などの分野で、知識の習得を希望するフリーターなどに企業のニーズを踏まえた短期間のプログラムを開発し、提供していくもので、日本版デュアルシステムとは、専修学校などでの教育と企業実習を組み合わせた人材育成のことです。  専修学校では従来からインターンシップ・プログラムとして行われてきた職業教育の一環です。  しかし、従来の公共の職業能力開発施設では行われてこなかったため、専修学校の登場となったのです。  学びながら働きたいという人のために、仕事を組み込んだカリキュラムを編成するモデルを開発、導入を行います。  例えば大阪では、建築系の専門学校が建築設計事務所や建築施工現場で、またIT系の専門学校はwebシステムのサーバー管理を、医療系ではドラッグストアや化粧品店での販売業務や店頭ディスプレーなどの実習を行っています。  デュアルシステムに参加した学生からは、「早く仕事に慣れたい」「確実に内定を取りたい」「職場での人間関係を早くつくりたい」などの積極的な声が聞かれました。 ●平成16年度の事業例 「短期教育プログラム」 初級Webプログラマー短期養成/バイオテクノロジー分野で働く派遣型テクニシャン教育/高齢社会に対応できる福祉情報人材スキルマップの開発/自動車産業へ就職するための短期教育/フリーター等がアメリカ村や新興企業で通用する熱い人材に育つ人間力養成プログラム/オンラインショッピングを利用して地理的ハンディキャップを克服する起業家、または企業の販売担当者を養成/企業ニーズに即したセキュアネットワーク構築人材養成/ITスキルとコスト管理能力を併せ持つ融合型人材短期教育 「日本版デュアルシステム」 地方における専門学校の役割の再確認と、デュアルシステムによる専門学校生の職業観の育成/地方ニーズに合致したIT技術者養成/長期デュアルシステム実現に適した産学連携モデル構築/建築施工管理技術者養成/起業プログラムを含む日本版デュアルシステム/自立支援・介護予防ヘルパー養成/若年求職者を対象とした観光産業関連企業への即戦力となる人材輩出 *それぞれのプログラムの名称は省略して記述しています。 ハローワークの混乱解消へ  厚生労働省職業安定局は、2004〔平成16〕年3月30日、各都道府県の労働局職業安定部長あてに、「専修学校に設置される高等課程(高等専修学校)の卒業予定者に対する就職支援について」という通知を出しました。  これまで、ハローワークでは、高等専修学校生に対する職業紹介については、高等教育機関である大学、短大や専門学校と一括りにして取り扱ってきていました。   しかし、高等専修学校の卒業者は、概ね18歳であり、高校の卒業者に相当します。そのため、求人側と求職者で混乱が生じたり、就職のチャンスを逃したりといった問題が起きていました。  こうした現状に対して、高等専修学校は改善を求めてきており、ようやく実を結んだのです。  ハローワークでは、2004〔平成16〕年度より、高等専修学校卒業予定者に対して(Cは教員に対して)、次のような対応をすることになりました。 @高等学校の卒業予定者と同じ求人情報を提供する。 A高等学校卒業者就職支援システムのIDを付与する。 B新規高等学校卒業者向けの職場見学、就職ガイダンスなどへの参加を受け入れる。 C都道府県高等学校就職問題検討会議や新規高等学校卒業者職業紹介業務連絡会議へのオブザーバー参加を受け入れる。  これに呼応して、文部科学省も同日、ハローワーク(公共職業安定所)が高等専修学校を高等学校と同じ扱いにすることにした、ということを知らせる通知(「高等専修学校卒業予定者に係る職業紹介業務の取扱等について」)を全国の都道府県の専修学校主管課長および教育委員会に出しました。 専門学校、高等専修学校、それぞれを分かりやすくするために  こうした混乱は、様々な場面でありました。例えば、高等課程と専門課程を同じ校地、校舎の中に併設する場合、従来の設置基準の下では、校舎の看板などは、○○高等専修学校、○○専門学校というように両者を表示することができませんでした。  そのため、専門学校の名前のみを校舎に表示するという形がとられるなどしたため、進学志望者や保護者、中学校・高等学校の先生方をはじめ社会一般にとって分かりにくく、結果として高等課程が認知されにくい、という問題が生じていました。  2004〔平成16〕年6月21日、専修学校設置基準の一部改正によって、他の学校等の施設・設備の共用が認められるようになりました。  これによって、ようやく、当然といえる、両校の表示をすることが可能となりました。 教職員がカウンセリング・マインドを養うために  全専各連の中で高等専修学校を持つ学校で組織する全国高等専修学校協会では、教職員向けに、カウンセリング・マインドに関する講習会の入門編を、伊藤美奈子慶應義塾大学助教授・臨床心理士を講師に迎え、2003〔平成15〕年1月、2日間にわたって行いました。  1日目は理論編で「思春期の心理的特徴」など、2日目は実践編で事例を挙げてグループディスカッションなどが行われ、さらに不登校についての講義に進み、意見交換が行われました。  この講習会は、2004〔平成16〕年9月にも実施されました。その後、入門編に続いて基礎編も実施されたほか、大阪でも入門編が開催されるなど、広がりを見せています。 高等専修学校の地位の明確化を  高等専修学校は特長ある職業教育など、普通科の高等学校では実現が難しいユニークな実践が積極的に行われています。  ところが、少子化の影響をより直接的に受けるのが高等専修学校です。2003〔平成15〕年度は前年度比で、専門課程が2万5613人増加している一方で、高等課程は4165人減少しています(文部科学省「学校基本調査」より)。  こうした状況に対して、高等専修学校の社会的な認知度を上げる様々な努力がなされています。例えば、意欲的に行われている公開授業の試みもその一つで、中学校の教員などの参加を得て、しだいに広がってきています。  また、2002〔平成14〕年1月21日には、「特定非営利活動法人NPO高等専修教育支援協会」を立ち上げました。創造的体験学習を通して職業生活に必要な知識・技能の習得を図る支援などを目的としています。 高等専修学校からの推薦に門戸を閉ざす国公立大学、格差が浮き彫りに  こうした努力の一方で、格差も浮き彫りにされています。  全国高等専修学校協会は、全国の大学・短期大学1199校を対象に、「高等専修学校の推薦入試に関する実施状況調査」を2003〔平成15〕年に行いました(回収率64・5%)。  回答した773校のうち、大学入学資格付与指定校の高等専修学校に対して、公募制推薦を認めていない大学・短期大学が、60%と半数以上に上っています。  公募制推薦を認めている大学・短期大学の中で、国公立は、わずか5%強に過ぎませんでした。  今後、認める予定は、多くが「なし」と回答し、高等専修学校に門戸を閉ざしている現実、高等学校との格差が、あらためて明らかになりました。   高等専修学校では、国および都道府県への助成推進の働きかけをはじめとして、教育環境の改善に努めています。 神奈川県立高と専門学校との連携、受講生徒に卒業単位の認定も  社団法人神奈川県専修学校各種学校協会が進める高等学校との連携事業が、2003〔平成15〕年度に試行され、翌2004〔平成16〕年から本格スタートしました。  これは、職業教育に関連した体験学習を通して、就労観の育成と職業意識の伸張に資することを目的とした事業です。  「体験学習を通して夢をカタチに! 仕事のまなび場」と銘打って、高校生を対象に夏休み期間、様々な分野で2〜5日間程度の職業体験をします。  これは、1999〔平成11〕年に専修学校設置基準が改正され、専修学校相互や専修学校以外における学習が認められたことで動き出した取り組みです。この学びは単位認定の対象となります。  さらに、資格取得や就職に向けてのアドバイスを行い、高校生の夢をかなえる入口となります。  2004〔平成16〕年度は約600人が、2005〔平成17〕年には約1200人が受講をしました。 小・中学校で食の指導を行う「栄養教諭」制度が新設され、専門学校での養成も  2004〔平成16〕年1月、文部科学省中央教育審議会は、「栄養教諭」について、専門学校での養成についても、「食に関する指導体制の整備について」の中で明記し、5月には、学校教育法の一部が改正され、「栄養教諭」制度が創設されました。  栄養教諭とは、平成14年の中教審答申「子どもの体力向上のための総合的な方策について」の中で、小・中学校での食についての指導を充実するために提言された新しい教員の資格です。これを受けて初等中等教育分科会教員養成部会が、教員養成・免許制度の審議を進めましたが、そこでは、大学での養成課程を基本とし、専門学校での養成は検討事項としていました。  これに対して全専各連は、社団法人全国栄養士養成施設協会と連携して、専門学校での養成の道を開くように要望し、その道が開かれました。  食の指導とは、今日、食をめぐってBSE(狂牛病)やO・157など食の安全性への不安、食生活の乱れと生活習慣病や情緒の不安定化、個食による家族関係の希薄化、食べ残しと環境・地球資源問題など、様々な問題がある中、自らの食について考える習慣を身につけ、健康で健全な生活をめざすというものです。  同年1月には農林水産省が提唱して「ニッポン食育フェア」が開かれ、専門学校も参加。小泉純一郎首相も来場し、専門学校生の振舞うみそ汁に舌鼓を打ちました。  また、2005〔平成17〕年6月には食育基本法が成立し、社会の関心も高まっています。 雇用のミスマッチ解消をめざし、専門的能力育成のプログラムを開発  不況と産業構造の転換、技術革新などによる雇用のミスマッチは、バブル崩壊以降の大きな問題です。専門学校はその解消をめざす人材育成に1990年代から取り組んできました。  2003〔平成15〕年からは、職種に応じた専門的能力の育成を図る「社会人キャリアアップ教育推進事業」(文部科学省より委託)が、様々な専門学校で取り組まれています。  以下はその例です。時代の先端をとらえ、多彩な切り口で人材育成を試みています。 ●社会人キャリアアップ教育推進事業 動物共生・環境コーディネーター育成/3次元CAD利用による創造型設計技術者育成/福祉サービス提供者に対する園芸療法教育育成システム/若年離転職者を対象としたキャリアアップ映像教育/リハビリテーション専門技術者育成プログラム/ウェブコンテンツ制作者のキャリアアップ/中国ビジネスを推進するマネージャー育成/介護職による介護予防高齢者筋力向上トレーニングプログラム/医療・福祉系専門学校における卒後教育支援システム/専修学校と企業・自治体との連携によるチャレンジショップを活用したIT人材育成/動画インターネットを利用した園芸店・生花店教育の高度化/アニマルセラピー・コーディネーター育成/障害者・高齢者のための電子情報処理支援技術/再就職者を対象,中小企業・新人事制度構築キャリアアッププログラム/バイオ系実験従事職種への転換プログラム/専修学校と企業(薬局等)との連携による医療事務分野でのIT化人材育成/アクセシブルなWebサイト制作者育成/環境教育とIT教育の複合 *それぞれの事業名は一部省略して記述しています。 専門学校の入学資格を緩和、外国人学校の卒業者も入学できるように  大学入学資格の弾力化が、2004〔平成16〕年4月から実施となりました。入学資格が大学と同じ専門学校は同様の扱いとなり、外国人学校の卒業者も入学が認められるようになりました。新たに入学資格を得たのは、次に該当する18歳以上の人です。 @専修学校の審査で高等学校卒業と同等以上の学力があると認められる者。 A国際的な評価団体の評価を受けた外国人学校の卒業者。 B外国で、その国の正規の課程(12年)と同等に位置づけられている外国人学校の卒業者。  同様に、大学入学においても、従来は大学入学資格検定(大検)に合格しなければなりませんでしたが、2003〔平成17〕年度からは、各大学の個別の審査で入学が可能となりました。なお、大検は高等学校卒業程度認定試験に変わりました。 「学習者の立場に立って相互の接続の円滑化を図る」ことを提言  鎌谷秀男全専各連会長を臨時委員とする、中央教育審議会の生涯学習分科会(分科会長・山本恒夫大学評価・学位授与機構研究部教授)は、今後の生涯学習の振興方策について、2004〔平成16〕年3月29日、審議経過の報告を行いました。  その中で、職業能力の向上について、全専各連が提言している、「専門学校・高等専修学校等が、実践的で専門的な技術・技能の教育機会を提供する中核的な職業教育機関であることを明確に位置づけることが必要である」ことが提示されました。  また、全専各連の中込三郎副会長、福田益和副会長が専門委員を務める中央教育審議会大学分科会の制度部会(部会長・岸本忠三大阪大学名誉教授)は、2004〔平成16〕年11月30日、審議をまとめました。  ここにおいても、やはり、全専各連が訴える「職業教育をキーワードとした教育体系の中で、専門学校の中核的な役割や位置付けを明確にする必要がある」ことが謳われました。  さらに、高度化している専門学校の卒業者の夢、将来性を閉ざすべきでないとの全専各連の委員の意見を反映して、大学院入学資格付与も盛り込まれました。  これらを受け、翌2005〔平成17〕年1月28日、中央教育審議会(鳥居泰彦会長)は、『我が国の高等教育の将来像』を中山成彬文部科学大臣に提出。その中で専門学校について、  「知識・技術等の高度化や専門特化した技術者養成等のため、修業年限の長期化・多様化に伴い、専門学校の高等教育機関としての性格も短期から長期まで様々なものに拡大してきている。一方で、実践的な職業教育・専門技術教育機関としての専門学校の性格を明確化し、その機能を充実することが期待される。  誰もがアクセスしやすい柔軟な高等教育システムを構築し、学習者の立場に立って相互の接続の円滑化を図る一環として、一定の要件を満たすと認められた専門学校を卒業した者に対して大学院入学資格を付与することが適切である」  と述べ、高度化する専門学校の学習に、新たな道を示しました。 NTTタウンページ、掲載分類の改善  NTTタウンページでも改善が図られました。  従来、各種学校の掲載は、【各種学校・教室】となっていて、各種学校と他の教育産業とが混在していました。そのため、各種学校を探そうとする場合、他との区別がつかず、混乱を招いていたのです。  そこで、全専各連はNTTに働きかけ、2003〔平成15〕年12月16日、「非専修学校及び各種学校掲載排除制度」をNTTと締結。翌年からのタウンページの改善に協力することとなりました。これによって、【各種学校】を独立した分類にするとともに、【専修学校】には専修学校のみ、【各種学校】には各種学校のみを掲載していくことになりました。  この後、全専各連の各都道府県協会などがNTTと連絡をとりながら、新しい分類への移行を図っています。 専門学校生、アテネ五輪でボランティア  2004〔平成16〕年に開催された、第28回夏季五輪アテネ大会。アテネ五輪組織委員会の受け入れで、日本の専門学校生約30人がボランティアとして活躍しました。  ボランティアを送り出すことを企画した専門学校は、調理師、ホテルビジネス、栄養士などをめざす学生たちに呼びかけ、学生たちは選手村でのルームサービスやランドリー、庭の草むしりなどのボランティアをしました。 91p event 全国高等専修学校体育大会 /駅伝競走大会 主催:全国高等専修学校協会 夏と冬のスポーツ大会  高等専修学校の体育大会は、1991〔平成3〕年から全国大会がスタートしました。夏に開催され、軟式野球、ソフトボール、バスケットボール、バレーボール、卓球、陸上競技などの競技がくり広げられます。高等専修学校生のブラスバンドによる入場式の演奏など、手作りの大会で、友情を深めます。  冬に開催される駅伝大会は1992〔平成4〕年から始まりました。 92p opinion column 職業教育を通じた独自の教育、 もっと社会的認知を 全国高等専修学校協会会長 大竹通夫  高等専修学校は、15歳人口が多かった時代には、「15の春を泣かせるな」を合言葉に公私立高校に入れなかった生徒の受け皿的存在であったかと思います。  そして、学力低下、不登校、高校中退、学級崩壊、犯罪の低年齢化などの問題に対応すべく、教育現場において、様々な改革が取り組まれている今日。学習指導要領に縛られない点を高等学校との最も大きな違いとする高等専修学校は、高等学校に遜色ない成果を上げ、高等学校中退者、不登校生徒への教育では、職業教育を通して、高等学校以上のフリーター対策の実績を上げています。  しかしながら、高等専修学校そのものが社会に、中学校の先生、保護者に知られていません。また、経常費助成措置をはじめとして、高等学校野球連盟への参加資格など、様々な格差が解消されないままにあります。  さらに、専修学校といえば専門学校を指すかのようなイメージが固定化され、例えば、マスコミは高等専修学校の生徒のことを「16歳の専門学校生」と誤った報道をすることがあります。  そこで、全国高等専修学校協会としては、名称を「専修高等学校」とすること、学校教育法の第一条に規定され、専修高等学校のみを抽出した設置基準が規定されることをめざしています。  これが実現することで、誰にも分かりやすい学校制度が確立し、社会的に認知されていくことでしょう。  今まで、名称が高等学校ではないとの理由で、出願の段階で高等専修学校を断念していた不登校、高等学校中退、障害のある生徒たちに対して、職業教育を通して人間的に成長できる機会を与えることができると考えています。 96p contest 全国専門学校英語スピーチコンテスト 主催:全国語学ビジネス観光教育協会 自由なテーマで、伸び伸びと  1983〔昭和58〕年から始まった全国専門学校英語スピーチコンテスト。日頃感じていることなど、自由なテーマで約5分間にまとめてスピーチします。出場者にとって母語ではない英語で伸び伸びと思いを述べ、スピーチの内容と英語の表現力で競い合います。 97-101p 2005 平成17年 職業教育のさらなる充実に向けて 高度専門士の誕生と大学院の入学資格付与へ 専修学校は、2005〔平成17〕年、制度制定30周年を迎えました。 今後の専修学校の課題などを議論する文部科学省の調査研究協力者会議は、新たな時代に向けて、職業教育のかなめとしての専修学校のあるべき方向を提示。 さらに文部科学省は、一定の要件を満たす修業年限4年以上の専門学校卒業者への大学院入学資格付与を、また、「高度専門士」の称号付与を定めました。   専修学校制度の改善と教育内容の充実に向けて、協力者会議が報告  文部科学省は、専修学校教育が抱える課題や今後の振興策などについて調査研究を行うため、生涯学習政策局長決定により、「今後の専修学校教育に関する調査研究協力者会議」を設置しました。専修学校制度発足30周年を目前にした2004〔平成16〕年6月のことです。  会議の趣旨は、「社会の変化に即応した実践的な職業教育、専門的な技術教育など専修学校に対する社会的要請の増大に鑑み、今後の専修学校教育の課題や振興方策などについて調査研究を行い」、それによって「今後の政策立案や施策推進に資する」こととあり、会議の報告書は実際の政策に大きな影響力をもつものです。  検討すべきこととして挙げられたのは、「新たな時代に対応する専修学校制度の改善」と「専修学校の教育内容の改善」などです。  第1回会議では、全国専修学校各種学校総連合会(全専各連)の考え方を提示する機会が設けられ、2003〔平成15〕年の定例総会で全専各連の総意としてまとめた「職業教育をキーワードとした今後の専修学校各種学校のあり方について」(P85〜87を参照)を述べ、教育における職業教育の重要性、その担い手としての専修学校の意義について提言しました。  その後議論を重ね、「今後の専修学校教育の充実・振興について」の案をまとめ、パブリックコメントを受け付け、専修学校関係者や一般の人などから幅広く意見を集約しました。  2005〔平成17〕年3月28日、協力者会議は最終報告をまとめて、生涯学習政策局長に提出しました。制度の改正は、この報告に基づいて、平成17年度中に行うことになりました。  報告は、「はじめに」で、こう述べています。  専修学校は、実践的、専門的な職業教育を行う中核的教育機関であって、柔軟かつ弾力的な制度を活かして多種多様な学習機会を提供し、社会から高く評価されている。  とくに、キャリア形成支援と職業に関わる生涯学習機会の提供については、先導的かつ先進的な取組みが期待されている。  専修学校が職業教育体系を構築する上で重点的に取り組むべき点を提言する。  これに続けて、「今後の専修学校教育における課題」として、 @専門学校の高度化の進展と学習成果の評価。 A多様な学習機会に対する需要の増大。 B専修学校がもつ職業教育力の活用。 C 評価への取組みと情報開示の促進。 D他の教育機関・産業界との連携。 E専修学校設置基準改善の必要性。  を挙げ、これらに対する方策を述べています。   普及するeラーニング  協力者会議の報告でeラーニングの拡大を謳っているように、専修学校ではITを積極的に利用しています。  インターネットをすでに接続している888校を対象にした調査2002〔平成14〕年度専修学校パソコンインターネット調査)では80%強が教育にインターネットを利用しています。ネットワークによる教材の配付、テスト、レポート提出、質問と回答、学生間の情報交換など用途は広がっています。 生涯学習の振興と、青少年の心と体の相伴った成長に向けて  中山成彬文部科学大臣は、2005〔平成17〕年6月13日、「新しい時代を切り拓く生涯学習の振興方策」「青少年の意欲を高め、心と体の相伴った成長を促す方策」の2点について、中央教育審議会に諮問しました。中込三郎全専各連会長は、「生涯学習分科会」と「国民一人ひとりの学習活動の促進に関する特別委員会」の臨時委員に就任しました。  社会が成熟化する中で、人々の学習ニーズは多様化するとともに、国際的な知の大競争時代にあること、同時に社会の成熟化によって若者の社会的自立の遅れも深刻な問題となっていることから、生涯学習の機会をより充実させていくことが求められ、専修学校への期待もいっそう高まってきているのです。 社会のニーズに的確に応えるためのプログラム開発  専修学校は、2005〔平成17〕年度、文部科学省の委嘱による2つの新規の事業を行います。一つは社会からのニーズの高い課題に対応する「専修学校教育重点支援プラン」、もう一つは若者の職業意識を高めるための「専修学校を活用した職業意識の啓発推進」です。  「専修学校教育重点支援プラン」は、専修学校がそれぞれの特色を活かして社会のニーズに応える教育内容や教育方法を研究開発し、その成果を全国に普及させ、専修学校教育の充実を図ろうというものです。  とくに次の6つの課題についてプログラム開発が求められています。 @地元の産業就労に特化した地域性の高い人材育成プログラムの開発など。 A生徒個人の悩みを受け止められるキャリアカウンセリングや、求人情報などのサービスによる就職支援、未内定者のケアシステムなど。 B専門課程で、個性的で優秀な職業人を育成するための効果的な教育方法の開発。 C高等課程で、体験活動・ボランティア活動などを通した豊かな感性をもつ職業人育成プログラムの開発など。 Dメークアップアーティストやアニメーションデザイナーなどの専修学校特有の教育領域での開拓など。 Eeラーニングを活用した遠隔教育での職業技術・技能の指導方法の開発など。 若者の職業意識を啓発するための取り組み  また、「専修学校を活用した職業意識の啓発推進」事業では、小学生・中学生から高校生、さらにはフリーターにも参加を呼びかけ、職業体験講座や講演会などを各地で実施し、職業に必要な技術・技能の学習意欲と職業意識の高揚を図ります。  それぞれの専修学校の特長を活かした職業体験講座を開いたり、実践的な職業技術・技能が体験できる職業体験講座や講演会を各地で開催していきます。  このような取り組みを通じて、専修学校は、あらゆる人に、柔軟に学びの機会を提供し、かつ、職業への意識の目覚めを促していきます。 学校基本調査、専修学校の調査項目、学科分類が30年ぶりに改正  文部科学省が実施する学校基本調査は、日本の学校教育全体を把握し、その動きを知る上で、なくてはならない統計資料です。  しかし、学校基本調査は、統計法に定められた指定統計調査として実施されているため、調査項目の改廃は容易に行うことができません。そのため、調査を始めてから30年経つと、常に新しい学科改変を行っている専修学校の実態が正確に把握できないという問題が起こりました。  そこで、全専各連では、文部科学省に対して、学校基本調査における学科分類の是正を求めてきました。  こうして2005〔平成17〕年1月、工業分野を除く7分野で、学科分類を増やすなどの変更が承認され、17年度から新しい分類で調査が実施されることになりました(p8を参照)。 財務情報の公開の義務化  情報公開や評価などへの取り組みが進む中、東京都の支援を得た社団法人東京都専修学校各種学校協会が中心となって、「特定非営利活動法人私立専門学校等評価研究機構」(理事長:市川正・元東京都教育長)を設立。設立総会が2004〔平成16〕年5月24日に開かれ、9月30日に設立認可されました。  翌2005〔平成17〕年4月、 私立学校法の一部が改正されて、財務情報の公開が義務づけられました。  それは、学校法人が公共性を有する法人としての説明責任を果たし、関係者の理解と協力をより得られるようにしていく観点から、財産目録、貸借対照表、収支計算書、監査報告書、事業報告書などを、関係者への閲覧を義務づける内容となっています。 「高度専門士」の称号付与、「大学院入学資格」の付与  文部科学省は、2005〔平成17〕年9月9日、4年制などの一定の要件を満たす専門学校卒業者に「高度専門士」の称号が付与できることについて告示し、また「大学院入学資格」の付与についても告示しました。  専門学校関係者による長年の取り組みの成果といえるでしょう。  生涯学習において、学びの成果をどう表現し、評価するかは大きなテーマです。専修学校関係者にとって、学びの質を高めることが使命であり、日本の社会にとっては、それを適切に評価する仕組み、制度を確立していくことが、今後の課題といえるでしょう。 専修学校制度制定30周年記念式典を開催  2005〔平成17〕年7月11日、専修学校制度は30周年を迎えました。これを記念する式典が、東京のアルカディア市ヶ谷で、塩谷立文部科学副大臣をはじめ、多数の来賓臨席のもと、約270名の関係者が全国から集い、盛大に開催されました。  式典は、30周年記念特別委員会の坪内孝満委員長による開会の辞の後、全専各連・中込三郎会長が、30年前を振り返り、着実に歩んできた足取りについての話題を交えながら、感謝の意とともに式辞を述べました。  塩谷副大臣からは、今日、職業教育機関としての専修学校の意義がますます大きくなっているとの祝辞を受けました。  また、全専各連顕彰を贈呈された専修学校等振興議員連盟名誉会長、森喜朗・前内閣総理大臣からは、ユーモアを交えながら、全専各連とともに歩んだ道のりが語られ、和やかな雰囲気の中、祝辞を受けました。  この後、祝詞披露、来賓紹介が行われ、専修学校教育に対する25年以上の功績等が認められた方々への文部科学大臣表彰状授与が行われました。  続いて、中込会長より関係者への感謝状贈呈、専修学校または各種学校教育に対する15年以上の功績等が認められた方に対する会長表彰の代表者授与が行われました。  式典の後は、祝賀会が華やかに行われ、専修学校等振興議員連盟会長の町村信孝議員、麻生太郎議員などのあいさつがありました。(P14〜16に式典・祝賀会を掲載) 98p囲み 今後の専修学校教育に関する調査研究協力者会議のメンバー 石田敬二 株式会社東京海上日動キャリアサービス キャリアクリエーション事業部長 浦部ひとみ 東京都立淵江高等学校主幹 小野紘昭 産能短期大学教授 鎌谷秀男 全国専修学校各種学校総連合会会長 小杉礼子 労働政策研究・研修機構副統括研究員 中込三郎 社団法人東京都専修学校各種学校協会会長 荒木 誠 東京都私学行政課長 舟本 奨 株式会社教育戦略情報研究所代表 山野晴雄 桜華女学院高等学校教諭 座長:山本恒夫 筑波大学名誉教授 中央教育審議会生涯学習分科会長                   五十音順、敬称略 99p 囲み 今後の専修学校教育に関する調査研究協力者会議 専修学校教育の充実・発展に向けて取り組むべき方策(要点)  専修学校は、柔軟で弾力的な制度の特色を活かし、社会のニーズに機敏に対応し、職業人を育成している。  生涯学習を振興し、職業教育体系の中での位置づけを明確にし、学習の成果を適切に評価していくために、次のような方策を講じることが適当である。 1 専門学校の修了者に対する新たな称号の付与  中教審答申で示された大学院入学資格の付与に対応して、次のような要件を満たす専門学校の修了者には、新たな称号(高度専門士など)を付与できることが適当である。 ・修業年限四年以上 ・修業年限の期間全体を通じた体系的な教育課程の編成 ・修了に必要な総授業時数が三四〇〇時間以上 2 専修学校におけるeラーニング等の拡大  現行制度ではメディア授業は、課程の修了に必要な総授業時数の二分の一までとしているが、それを超えたeラーニング授業や自宅でのeラーニングを可能としていく。 3 専修学校がもつ職業教育力の一層の充実強化 (1)若年者に対する職業意識の高揚 専修学校は地域の主体となって小・中・高校生などを対象に、職業体験の機会を提供するなど、職業意識や勤労観の喚起を図っていく必要がある。 (2)フリーター等の教育訓練 フリーターに対する、企業のニーズを踏まえた短期教育プログラムの開発。 (3)社会人のキャリアアップ 専修学校と産業界が連携して、先導的なプログラム開発を推進し、社会人の職業能力の開発機会の拡大。 (4)その他社会的要請の高い重点的な課題への対応 地域人材の育成、専修学校に特有な教育領域の拡大、教職員がキャリア・サポーターとなっての学生・生徒への相談、指導など。 4 評価への取り組みと情報開示の促進  教育内容・方法、経営状態などについて、積極的かつ学習者、保護者にわかりやすい情報開示などによって、社会的信頼・評価の確保に努める必要がある。また、自己点検・評価の義務化を目指す。 5 他の教育機関・産業界との連携の促進 (1)高等学校等との連携の促進 中学・高校の教職員が、生徒に適切な進路指導ができるよう、高等専修学校や専門学校などの教育に直接触れる機会をもち、専修学校、文部科学省は情報提供する。中学・高校の生徒が専修学校での実習などを体験する取り組みの普及が期待される。 (2)大学等との連携の促進 高等教育機関相互の接続を図り、学習者の希望に沿った学習機会を提供できるように、学習成果の互換性を保てるようにすることが必要である。 (3)産業界との連携の促進 産業界との連携は、責任ある人材育成のため、極めて重要。とくに修業年限四年以上の高度な専門学校では、産業界からの教員の受け入れ、プログラムの共同開発などを通じて、教育水準の維持・向上を図ることが望まれる。 「人材投資(教育訓練)促進税制」の創設を踏まえ、社会人が企業と専門学校を往復して学習できる仕組みの構築も有意義である。 6 専修学校の発展を踏まえた設置基準等の改善  現行の専修学校設置基準は、後期中等教育に相当する高等課程、高等教育に相当する専門課程、制度上入学資格に制限がない一般課程が、一つの専修学校設置基準で規定され、分かりづらい。  それぞれ設置基準を分離する検討を続ける。一般課程の名称、基準などのあり方は今後の課題で、検討の際には、各種学校制度も視野に入れつつ検討をすることが必要。